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湯気の向こう側で、誰かが笑っていた

湯気の向こう側で、誰かが笑っていた

格子の光と、不格好なオムレツの朝

月のホテル / TSUKINO HOTELの朝は、組子細工の隙間からこぼれる光の粒で始まる。その光は直線ではなく、細かな格子に遮られて、部屋の中に淡い縞模様の影を落としていた。まるで光の篩にかけられたような、静謐で柔らかい時間だ。朝食会場に足を踏み入れると、ふわりと漂う出汁の香りと、深く焙煎されたコーヒーの苦い匂いが心地よく混ざり合っている。上の子は、自分のプレートに盛られたオムレツを完璧な正方形に切り分けようと、小さなフォークで格闘していた。「見てて、きれいに切るからね」と意気込む横顔が微笑ましい。一方で下の子は、パンにジャムを塗りすぎて、テーブルにまでべったりと広げている。私はそれを眺めながら、温かいお茶を一口含んだ。喉を通る熱が、まだ微睡みのなかにあった身体の芯をゆっくりと解いていく。誰かがフォークを落とした高い金属音や、隣のテーブルから漏れる低い笑い声。そんな断片的な音が、心地よいリズムとなって耳に届く。それは豪華な食事というよりも、家族という小さなチームが、今日という一日を乗り切るための燃料を補給する、賑やかな作戦会議のような時間だった。窓の外には二月の冷たい空気が張り詰めているけれど、ここにあるのは、誰にも邪魔されない、適度な温度の幸福感だった。

凍える街角で出会った、琥珀色の温もり

ホテルから歩いて数分。酒田駅前の空気は、肺の奥まで凍りつかせるほど鋭く、冬の厳しさを突きつけてくる。梅まつりの会場へ向かう道すがら、子供たちの鼻先は真っ赤に染まり、吐き出す息は濃い白い煙となって視界を遮っていた。「あっちに花がある!」と上の子が指差した方向へ、私たちは足早に歩く。ふと立ち寄った屋台から、大きな鍋いっぱいの真っ白な湯気が立ち昇っていた。その熱い蒸気が顔に当たった瞬間、緊張していた皮膚がじわりと緩むのが分かった。注文したおでんの、出汁がたっぷりと染みた大根を一口。口に入れた瞬間、熱さと共に凝縮された旨味がじゅわりと広がり、凍えて縮こまっていた身体中の血管が一本ずつ開いていく感覚に包まれた。「熱い!でも、すっごく美味しい!」と、口をパクパクさせながら大根を頬張る下の子の姿が可笑しくて、私たちは顔を見合わせて小さく笑い合った。灰色の空を背景に、点々と咲くピンク色の梅の花。それは、厳しい冬の中でも静かに春を待っていた、小さな生命の強い意志のような色だった。おしゃれなレストランでコース料理をいただくよりも、凍える指先で握りしめた使い捨てカップの温かさや、子供と一緒に分け合った大根の柔らかさの方が、ずっと深く記憶に刻まれる。不便さや寒さがあるからこそ、その対極にある温もりが、鋭い輪郭を持って心に届くのだと感じた。

月明かりの静寂と、秘密のプリン

ホテルに戻り、館内の温泉で身体を芯から温めた後の時間は、世界で一番贅沢な静寂に包まれていた。私たちが泊まったモデレートツインの客室には、木の香りが静かに漂い、照明は控えめで、まるで深い海の底にいるような安心感がある。上の子はもう夢の中。下の子も、パジャマの袖をぎゅっと握りしめたまま、心地よいまどろみの中にいた。そんな時、ふと思い立って、駅前で買っておいたコンビニのプリンを三人で分けることにした。小さなプラスチックのカップを、誰がどれだけ食べるかで、小さな、けれど至極真剣な交渉が始まる。スプーンがカップの底を叩く、カチカチという小さな音。口の中に広がる、濃厚で少しだけ不自然なほどの甘さ。それは、一日中歩き回った疲れを、優しく塗りつぶしてくれるような魔法の味だった。ベッドのシーツのパリッとした清潔な質感と、暖房で適度に温まった部屋の空気。子供たちの規則正しい寝息を聞きながら、私はただ、天井に映るかすかな光の揺らぎを眺めていた。旅の終わりが近づいている寂しさよりも、今この瞬間に、ここに全員でいられることの心地よさが勝っていた。何かを成し遂げたわけでも、特別な発見があったわけでもない。ただ、一緒に寒さを感じ、一緒に温まり、一緒に甘いものを食べた。それだけで、十分すぎるほど豊かな時間だったのだ。月のホテル / TSUKINO HOTELで過ごしたこの夜は、家族の絆を静かに深めてくれた。

冬の月が、私たちの不完全で騒がしい旅を、優しく肯定するように照らしていた。

  • 酒田駅前のコンビニで、地元の濃厚な乳製品を使ったスイーツを探し、夜のデザートタイムを計画すること。
  • 梅まつりの折、あえて目的地を決めずに、子供が「あっちに行きたい」と言った方向へ迷い込んでみること。