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浴衣の袖が擦れる音と、溶けかけたアイスの温度

浴衣の袖が擦れる音と、溶けかけたアイスの温度

胃袋の正直な反乱と、深夜の密約

帯をきつく締めすぎて、呼吸が少し浅い。浴衣の麻のような、ざらりとした感触が肌にまとわりつき、心地よい緊張感を与えていた。七月の富良野の夜は、湿り気を帯びた涼やかな風が通り抜け、どこか遠くで祭りの囃子がかすかに、けれど鮮明に響いている。私たちは「絶対に夜食なんていらない」と、意地を張った賭けをしていたはずだった。しかし、ラビスタ富良野ヒルズのロビーに足を踏み入れた瞬間、誰かが小さく「お腹空いた」と呟いた。その一言が、静まり返った夜の空気に小さな亀裂を入れる。結局、私たちは競い合うようにして無料の夜食ラーメンへと向かった。裸足で踏んだホテルの廊下のタイルは、驚くほど心地よく冷たくて、歩くたびに軽い音が跳ね返ってくる。深夜二時の静寂の中で、私たちの足音だけが、まるで秘密の合図のように響いていた。コンビニで買い込んだお菓子の袋がカサカサと音を立て、ホテルが用意してくれた温かい麺の香りが鼻をくすぐる。それらを抱えて部屋に戻る道すがら、誰かが「やっぱり賭けに負けたね」とくすくす笑った。その笑い声が、深い夜の闇に溶けていく。そういう、ちょっとした計画の崩壊こそが、旅の正解なのだと感じた。

湯気の向こう側で、不器用な時間を啜る

「ねえ、さっきの花火、誰が一番いいタイミングで写真撮れたか決めない?」
「無理。私なんて、全部光の線になってるし。というか、そもそも構図がひどすぎて何が写ってるか分からないよ」
「あはは、それ絶対面白い。後で見せてよ」

デラックスツインの広い部屋のテーブルに並べられたのは、真っ白な湯気を立てるラーメンと、不格好に開けられたポテトチップスの袋。私たちは、わざわざ正座して食べることもなく、ベッドの端に腰掛けたり、床に直接座り込んだりして、不揃いな体勢で麺を啜った。口の中いっぱいに広がる出汁の温かさが、祭りの興奮で少し冷えていた指先までじわりと届く。

「っていうか、あの浴衣の歩き方、マジで誇張なくペンギンだったよね」
「ちょっと!あれは裾が長すぎただけ。誰だってあんな風になるってば」
「いいえ、あなたは特にだった。私たちが後ろから見て、本気で転ぶんじゃないかって心配してたもん」

誰かが誰かをからかい、それに必死に反論し、最後にはみんなで声を上げて笑う。そんな、なんてことのない会話が、深夜の部屋を心地よい密度で満たしていた。完璧なスケジュールなんて、最初から必要なかったのかもしれない。迷子になった道や、タイミングを逃した写真、そして帯の締め方を間違えて何度もやり直した時間。そういう「失敗」の断片が、今この瞬間の、お互いの顔を見て笑い合える心地よさを形作っている。私たちは、お互いの不器用さを笑い合うことで、より深く、静かに繋がっているような気がした。最後の一口の麺を啜り終えたとき、誰かが「明日、起きられるかな」と呟いた。けれど、その場にいた誰も、本気で起きようとは思っていなかった。

満たされた後の、静かな余白に溶ける

食後、私たちはなんとなく、無料のアイスクリームを取りに行った。冷たい甘さが、口の中に残っていた塩気と混ざり合い、心地よい温度差を作る。部屋に戻り、明かりを半分消すと、天井に花火の残像が張り付いているような錯覚に陥った。まぶたを閉じても、さっきまで見ていた鮮やかな色彩が、網膜の裏側でゆっくりと色を変えていく。光が消えた後の暗闇は、決して空っぽではなく、心地よい重みを持って私たちを包み込んでいた。

エアコンの低い唸り音と、時折聞こえる隣の部屋の微かな話し声。そして、隣で寝息を立て始めた友人の、規則正しい呼吸。ラビスタ富良野ヒルズのベッドは、驚くほど柔らかくて、身体の境界線が曖昧になる感覚がある。天然温泉で温まった身体が、このままシーツに溶けて、富良野の夜の一部になってしまってもいいかもしれない。孤独というものは、一人でいることではなく、誰と一緒にいても消えない静かな場所のことだと思っていたけれど、今夜だけは、その場所がとても温かい。私たちは、言葉を交わさなくても、同じリズムで呼吸している。答えを出す必要なんてない。ただ、この静寂を分かち合っていること。それだけで十分だった。窓の外では、十勝岳の稜線が夜の闇に溶け込み、星だけが鋭く光っていた。その光は、まるで誰かがこっそり置いていった忘れ物のようで、ずっと眺めていたくなる。

浴衣の裾を乱したまま、私たちは深い眠りに落ちていった。

  • 夜食の無料ラーメンに、コンビニの刻みネギを足して自分流にアレンジすること
  • 眠る前に、露天風呂で夜空を見上げ、誰とも喋らずにただ風を感じること