次男が忽然、ホテルの廊下をサーキットに見立てて走り出した。パタパタという小さな足音が、静まり返った空間に波紋のように広がっていく。慌てて追いかける私の足音と、それをあきらめたように眺める長女の深い溜息。足裏に伝わるカーペットの厚みが、その喧騒を適度に吸い込んでいた。「ダメだよ!」と口では言いながらも、心の中ではこの無邪気な暴走に心地よく振り回されている自分に気づく。私たちはチームとして作戦を立てていたはずなのに、実際にはただ、この小さな嵐に翻弄されていた。けれど、そんな不協和音さえも、後で思い出すと家族だけの愛おしいリズムになるのだろう。
伊東園ホテル松川館の「龍神の湯」に体を沈めたとき、肩から上の強張っていた空気がふっと軽くなるのを感じた。かけ流しの湯が肌に触れる温度は、芯まで温めてくれる絶妙な心地よさ。お湯の重みが、一日中張り詰めていた心の結び目をゆっくりと解いていく。隣では子供たちが水しぶきを上げていて、静寂とは程遠い時間だったけれど、不思議とそれが心地よかった。完璧に静まり返った場所よりも、誰かの笑い声が混じり合い、湯気に包まれている空間の方が、今の私にはしっくりくる。贅沢とは、きっとこういうことなのだと思う。
川側の客室の窓を開けると、12月の冷たい空気が鋭く、けれど清々しく頬を撫でた。外では松川の流れが、低い周波数のハミングのように絶え間なく鳴っている。その音に耳を澄ませていると、自分たちが今、日常から切り離された場所にいることを静かに教えてくれる気がした。都会の喧騒とは違う、水と風だけが密やかに会話している音。子供たちはすぐに飽きて部屋に戻っていったけれど、私はあと数分だけ、その冷たい静寂の中に留まり、心の澱を洗い流したかった。
バイキング会場に漂う、炊き立てのご飯と出汁の混ざり合った濃密な湯気の匂い。地元の新鮮な魚料理を皿に盛る手が、期待で少しだけ弾む。次男は好き嫌いをして、皿の上に不思議な境界線を作っていた。一方の長女は「これが一番美味しい」と、大人びた顔で地酒の香りが漂う料理に挑戦している。賑やかな食卓は、まるでパズルのピースがバラバラに散らばっているみたいだったけれど、その混沌とした状態こそが、私たちの家族の本当の姿であり、一番安心できる風景なのだ。
夜の伊東市街に出ると、クリスマスイルミネーションが街を淡い光のヴェールで包んでいた。色とりどりの光が、子供たちの瞳の中で小さく跳ねている。寒さで赤くなった鼻先をすり寄せ合いながら歩く時間は、とても短かったけれど、濃密だった。ホテルのロビーに戻ったとき、外の冷気と室内の柔らかな温もりが混ざり合い、心地よい温度差が生まれた。その境界線に立っているとき、ふっと、今ここに家族全員でいることの充足感が、温かいお茶のように胸いっぱいに広がった。
畳に布団を敷くときの、い草の乾いた懐かしい匂い。重い掛け布団に潜り込むと、体温がゆっくりと閉じ込められ、心地よい密室が出来上がる。川側の客室という贅沢な空間で、家族四人が狭い布団に身を寄せ合って眠る。それはまるで、冬の土の下で春に硬い殻を破ろうとしている小さな種のような時間。旅の疲れという心地よい圧力があったからこそ、私たちは互いの温もりを、より切実に、より深く感じることができた。不完全な旅の断片が、ゆっくりと家族の記憶に根を張っていく感覚があった。
最後の一人が静かな寝息を立て始めたとき、部屋に本当の静寂が訪れた。明日もきっと、誰かが何かをこぼして、誰かが泣き出すけれど、それでいい。暗い部屋の中で、窓の外を流れる川の音だけが、子守唄のように優しく私たちを包んでいた。翌朝、差し込んだ陽光で白くなったシーツを、子供たちが蹴飛ばして笑い合う。その光景を見たとき、この旅は完成したのだと感じた。
朝日で白くなったシーツを、子供たちが蹴飛ばして笑っている。
- 伊東駅から徒歩8分なので、小さなお子様連れでも、途中の商店街を散歩しながらゆっくりホテルに向かうのがおすすめです。
- 川側の客室を選んで、早朝に窓を開けてみてください。冷たい空気と川の音が、心地よい目覚めをくれます。