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ベルベットの絨毯に消えていった、誰かの笑い声

ベルベットの絨毯に消えていった、誰かの笑い声

真鍮のドアノブのひんやりとした重みが、手のひらから心臓まで伝わってくる。誰が一番先にロビーで迷子になるか賭けたけれど、結局は全員で同じ方向の壁を呆然と眺めていた。歴史を纏った高い天井と、静謐な空気に圧倒され、私たちは急にどう振る舞えばいいか分からなくなった。わざとらしく背筋を伸ばして歩く姿が、鏡に映った自分たちに見えて滑稽で、誰かが吹き出した瞬間に、張り詰めていた緊張が春の雪のようにふっと溶けた。



ラウンジで運ばれてきたアフタヌーンティー。スコーンに添えられたクロテッドクリームの、濃厚で真っ白な質感に目を奪われる。口の中でゆっくりと溶ける温度が、ちょうど四月の午後の柔らかな日差しに似ていた。誰が一番「貴族っぽい」食べ方をできるか競い合っていたけれど、結局は口の周りにクリームをつけたまま笑い転げていた。そんな、取り繕えない時間が、この場所の静けさに心地よく滲んでいく。


「あなた、今の角度、完全に五十年代の映画の端役みたい」という、容赦ない一言。昭和レトロなロビーの重厚な椅子に深く腰掛け、わざと気取ったポーズを決めていた友人に向けられた言葉だ。本人は至って真面目に「大人の余裕」を演出していたはずなのに、そのギャップに耐えられず、最後には二人で顔を見合わせて爆笑した。完璧に振る舞おうとするほど、私たちの不器用さが際立って、それがたまらなく心地よかった。


ゴルフコースを歩いているとき、不意に強い春風が吹き抜け、誰かの帽子が相模灘の方へ舞い上がった。それを追いかける私たちの足取りは、お世辞にもエレガントとは言えなかったけれど、必死に走る姿がお互い可笑しくてたまらなかった。誰かが転びそうになり、それを誰かが笑い、また誰かが呆れる。そんなとりとめのないやり取りが、真っ白な和紙に墨が広がっていくように、この旅の記憶に深く、濃く染み込んでいく。


午前六時のオーシャンビュースイートルーム。カーテンを開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、深く、濃い、吸い込まれそうな相模灘の青だった。遠くに富士山の輪郭がぼんやりと浮かんでいて、世界に自分たちしかいないような、不思議な静寂に包まれる。いつもは喋りすぎているはずの私たちが、ただ黙ってその色を眺めていた。言葉にする必要なんてないという感覚が、肌に触れる冷たい空気と一緒に、肺の奥まで届いた。


温泉の檜風呂に浸かったとき、指先に触れる木の滑らかな質感と、かすかに漂う清々しい香りに意識が研ぎ澄まされる。お湯の温度が心地よく、凝り固まった肩の力が、ゆっくりと水に溶け出していく。隣で誰かが「ああ、もうここから出たくない」と呟く声が、白い湯気に混じって柔らかく響いた。その声の温度こそが、今の私たちにとって一番必要な正解だったのかもしれない。


部屋に戻ろうとして、間違えて隣の部屋のドアをノックしてしまった。気まずい沈黙の後、中から聞こえてきた見知らぬ誰かの笑い声。私たちは慌ててその場を離れたけれど、廊下を走る自分の足音が、分厚い絨毯に吸い込まれていく感覚がなんだか愉快だった。計算通りにいかないことばかりの旅だけど、そのズレこそが、後で語り合いたくなる最高のネタになる。


チェックアウトのとき、車に乗り込む直前に振り返ると、川奈ホテルの建物が春の光に包まれていた。最初はあんなに気後れしていたのに、今はここが自分たちの居場所だったような、錯覚に似た安心感がある。墨が紙に完全に定着するように、この旅の騒がしさと静けさが、私たちの関係の中に静かに、けれど確かに定着したという気がする。

ベルベットの絨毯の上に、脱ぎ捨てた迷いだけが残っていた。

  • ロビーで一番「貴族っぽい」顔をして、あえて一番くだらない冗談を言い合ってみて。
  • 早起きして、コーヒーを片手に相模灘の青が刻々と変わる瞬間をただ眺めてほしい。