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浴衣の袖から、小さな手がのぞいていた

浴衣の袖から、小さな手がのぞいていた

なぜ、この森の静寂に家族を連れてきたのか。

シャトルバスのドアが閉まる乾いた音が、旅の始まりを告げた。三月の定山渓は、まだ冬がしがみついている。外気に触れた瞬間、肺の奥まで鋭い冷たさが入り込み、思わず肩をすくめた。けれど、奥定山渓温泉 佳松御苑のロビーに足を踏み入れた途端、空気の密度が心地よく変わる。ナラやタモの木材が放つ深く落ち着いた香りが鼻腔をくすぐり、凍えていた指先がゆっくりと解けていく。それは、長い冬を耐えてきた種が、土の中でひそかに殻を破ろうとする瞬間の静かな震えに似ていた。

私たちは、どこかで「正解」の家族でありたいと願いすぎていたのかもしれない。予定通りに動き、誰も泣かず、全員が満足する旅。けれど、そんな完璧な物語はどこにもない。森の展望温泉客室 紅・Kurenaiに足を踏み入れたとき、五十八平方メートルという贅沢な空間の広がりが、私たちに「ここでは適当にいていい」という静かな許可をくれた。札幌軟石の壁に囲まれたリビングで、子供たちが転げ回り、大人が深い溜息とともにソファに沈み込む。その不格好な光景さえも、この空間には心地よく溶け込んでいった。特に、森を望む展望風呂に浸かると、目の前には葉を落とした原生林が静まり返っている。お湯の温度が肌にまとわりつく重みが心地よく、子供たちが水面を叩いてはしゃぐ騒がしささえも、冬の森に響く生命の音のように感じられた。誰かが誰かを正そうとする必要のない、ただ一緒に揺られていられる時間がそこにはあった。

子供たちの瞳に、一番鮮やかに映ったものは?

それは、夕食のイタリアンコースが運ばれてきた瞬間だった。普段は好き嫌いが多く、食事の時間がしばしば戦場となる下の子が、北海道産の白老牛のローストを一口食べた途端、目を丸くして私を見た。「これ、お肉が溶けるよ」と、たどたどしく、けれど確信に満ちた声で教えてくれた。シェフがその日の気温や天候に合わせてデザインしたという一皿は、芸術品のような美しさと、素材への誠実な味が共存していた。濃厚なソースが舌の上でゆっくりとほどけていく感覚に、大人の私たちも思わず言葉を失い、ただ深く味わっていた。

食事の途中で、上の子がぶどうジュースの入ったグラスを倒しそうになり、一瞬だけテーブルの上の空気が凍りついた。親としての反射的な緊張が走ったが、それよりも早く、スタッフの方がいたずらっぽく微笑みながら「大丈夫ですよ、それは冒険の印ですね」と優しくフォローしてくれた。その一言で、張り詰めていた私の肩の力がふっと抜けた。完璧なマナーや作法よりも、目の前にある美味しい料理と、不器用な会話。子供たちの瞳に映っていたのは、豪華な設備ではなく、こうした「ちょっとしたハプニングを許してくれた誰かの笑顔」だったのだろう。カトラリーが皿に触れる小さな音や、窓の外で風に揺れる木々のざわめきが、家族の笑い声と混ざり合い、この場所でしか奏でられない特別な旋律となって心に刻まれていった。

旅路の果てに、心に深く刻まれる記憶とは。

最後の日、スランバーランドのマットレスがもたらす深い包容力から離れるのが惜しくて、私たちはしばらくの間、布団の中で丸まっていた。身体の輪郭を優しく受け止めるその沈み込みは、冬の土の中でじっと春を待つ種のような、絶対的な安心感に満ちていた。窓の外では、春分を前にして森がゆっくりと呼吸を始めている。まだ桜が咲くには早すぎるけれど、冷たい空気の中にだけ、かすかに春の気配が混じっていた。

私たちは、旅に出る前よりも少しだけ、お互いの不完全さを愛せるようになった気がする。子供のわがままも、パートナーの疲れ切った顔も、すべてはこの旅というパズルの欠かせないピースだった。欠けている部分があるからこそ、そこに新しい記憶を流し込むことができる。空っぽの空間があるからこそ、そこに温かい体温を詰め込める。そう気づかせてくれたのは、奥定山渓温泉 佳松御苑の森が湛える静寂と、そこに心地よく混ざり合った私たちの賑やかな時間だった。

「また、お肉食べに来たい」と呟く小さな手の温もり。

  • 札幌駅からの無料送迎バスは完全予約制です。前日の17時までに予約を済ませ、車窓から冬の終わりの景色をお楽しみください。
  • 時間があれば定山渓神社まで足を伸ばして。凛とした冷気の中で、春を待つ木々の静かな呼吸に触れることができます。