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指先が赤くなるまで、雪を丸めた日のこと

指先が赤くなるまで、雪を丸めた日のこと

下の子が、自分にはあまりに大きすぎる浴衣の裾を踏んで、「おっとっと」と小さくよろけた。それを追いかける上の子の弾む足音と、私のあきらめ混じりの笑い声が、静まり返った廊下に心地よく跳ねる。1月の北海道を包む空気は、まるで研ぎ澄まされた刃のように鋭い。一歩外へ出れば、肺の奥まで凍りつくような冷たさに身が引き締まるけれど、花もみじの扉を開けた瞬間に触れる空気は、まるで厚手のウールの毛布に包み込まれたみたいに柔らかく、温かかった。もしかすると、この劇的な温度差こそが、私たちがここに居たいと切望した本当の理由だったのかもしれない。

凍てつく冬の夜に、なぜ家族でこの場所を訪れるのか

外には深いブルーの夜が降りてきて、しんしんと、どこまでも静かに雪が積もっている。けれど、ロビーやラウンジに灯るオレンジ色の柔らかな光は、その外の厳しさを遠い世界の出来事のように塗り替えてしまう。図書ギャラリーの静寂に身を置いていると、古書のページをめくる乾いた音と、遠くで誰かが低く語らう声が、心地よいリズムとなって耳に届く。古い紙の香りが漂う空間で、上の子は不思議そうに背表紙を眺め、下の子は畳のざらりとした感触が面白いのか、何度も裸足で足の指をくねらせていた。「ここ、なんだか落ち着くね」と誰が呟いたのか分からないけれど、その言葉が正解だった。家族というものは、一緒にいてもそれぞれに違う時間軸を生きている。けれど、この場所にある圧倒的な「包容力」のような空間設計は、バラバラな個性を一つの屋根の下にそっとまとめてくれる。誰かが少し騒いでも、誰かがぼーっと空想にふけっていても、それが冬の風景の一部として自然に受け入れられる。そんな、緩やかな肯定感に満ちた時間がここには流れている。完璧なスケジュールをこなす旅ではなく、ただ一緒にここに居るということ。その根源的な心地よさを、私たちはこの場所で思い出したのだ。

子供たちの心を捉えて離さなかった、意外な「遊び場」とは

予想外だったのは、卓球ラウンジで過ごした濃密な時間だった。静謐な和の空間に、「ピンポン」という軽快で、少しだけ不協和音のような音が賑やかに響き渡る。上の子は勝ち気な表情でラケットのグリップをぎゅっと握りしめ、下の子は跳ねるボールを追いかけて、畳の上をあちこちに走り回っていた。大人が反射的に「静かにしなさい」と言う代わりに、ここではその賑やかさこそが、冬の深い静寂に対する最高のアンサーになる。ボールがテーブルの端をかすめて床に転がるたびに、子供たちの高い笑い声が弾ける。その音を聞きながら、私はふと思った。旅の記憶に深く刻まれるのは、ガイドブックに載っている立派な景色よりも、こういう「どうでもいいけれど、どうしようもなく楽しい瞬間」の方なのだと。冷え切った指先を温めるために飲んだ、甘いココアの白い湯気が鼻腔をくすぐる。子供たちの瞳に宿る、勝負への真剣な眼差しと、不意に訪れる爆笑。その鮮やかなコントラストが、冬の夜を色鮮やかに彩っていた。きっと彼らにとって、この旅のハイライトは有名な観光地ではなく、このラウンジで繰り広げられた、泥臭くも愛おしい家族対抗戦だったのだろう。

旅路の果てに、心に深く刻まれるのはどんな記憶か

最後に向かった温泉で、肌に触れるお湯の温度が、驚くほど心地よかった。熱すぎず、冷たすぎず、ただただ身体の芯までゆっくりと溶かしていく感覚。湯船に深く浸かりながら、ぼんやりと外の雪景色を眺める。真っ白な雪と、立ち上る湯気で霞む視界。自分の輪郭が少しずつ曖昧になって、ただの「温かい塊」になったような錯覚に陥った。上の子が「お湯がふわふわしてる」と不思議そうに呟いたとき、私はその言葉の正しさに、心の中で小さく頷いた。日常に戻れば、また誰かの期待に応えたり、分刻みの時間に追われたりする日々が始まる。けれど、指先が赤くなるまで雪を丸めて遊び、その後で極上の温もりに身を委ねたという記憶は、心の中に小さな灯火のように残り続けるはずだ。不完全で、少しだけ騒がしくて、それでも限りなく温かかった時間。私たちは、失ったものを数えるのではなく、ここで得た「静かな充足感」を抱えて、また明日からの日常へ戻っていく。

湯上がりに、子供たちが並んで深く眠っている寝顔を眺める時間は、何物にも代えがたい贅沢だった。

  • 卓球ラウンジでは、勝ち負けよりも「どれだけ変な方向にボールを飛ばせるか」を競うのが、子供たちと盛り上がるコツ。
  • 1月の定山渓は想像以上に冷えるため、まずはロビーでゆっくりと身体を温めてから、外の雪景色に飛び出すのがおすすめ。