← 回到 日光鬼怒川三日月飯店

濡れた足跡が、廊下で小さなリズムを刻んでいた

濡れた足跡が、廊下で小さなリズムを刻んでいた

ひんやりとしたタイルの感触が足裏から伝わり、心地よい刺激になる。屋上プールの眩い陽光の下、子供たちの裸足がぺたぺたという不規則なリズムを刻みながら駆け抜けていく。塩素の混じった水の匂いと、弾けるような笑い声。ウォータースライダーから飛び出した瞬間の、激しい水しぶきの音が世界を塗りつぶす。耳の奥に水が入って、周囲の音が遠くこもって聞こえる不思議な静寂。下の子が忽然「魚がいる!」と叫んで、家族全員で身を乗り出したけれど、結局それは自分の足の指だった。みんなでふっと笑ったとき、その笑い声がホテルの高い天井にぶつかって、柔らかな残響となって戻ってきた。そういう、ちょっとした間違いこそが、旅の輪郭を鮮やかに彩るのかもしれない。


肩まで浸かったお湯の温度が、芯まで冷えた身体をゆっくりと解きほぐしていく。日光きぬ川ホテル三日月の屋内ガーデンスパに身を沈めると、皮膚の境界線が温かな湯の中に溶けていく感覚がある。もみほぐしを受けた後の、身体が羽のように軽くなった状態。ただ、ぼーっと天井の装飾を眺めている。隣では上の子が、大人の真似をして深く潜ろうとして、ぷはーっと大きな音を立てて顔を出した。静寂を求める旅ではなく、心地よいノイズに包まれる旅。重力から解放された身体が、お湯の揺らぎに身を任せているとき、心の中にある小さな緊張が、静かにほどけていくのがわかった。
三層の滝が落とす、圧倒的な水の轟音。それはすべてを包み込むホワイトノイズのようで、日常の喧騒を塗りつぶしてくれる。ライブキッチンの賑やかな調理音、食器が触れ合う高い金属音、子供たちの無邪気な言い争う声。それらが幾層にも重なり合って、一つの大きな音楽のように聞こえる。私はあえて、その音の渦の中に身を置いてみた。完璧な静寂よりも、こういう「生きてる音」に囲まれている方が、不思議と安心できる。音の層が重なり、消えてはまた現れる。その繰り返しが、家族というチームで動くときの、心地よい緊張感に似ている気がした。
口の中に広がる、炊きたてのご飯の濃厚な甘み。バイキングレストランで、子供たちが「これがいい」と指差した地元の山菜や食材を、お皿に山盛りにしていく。焼きたての魚の皮がパリッとはじける音。醤油の焦げた香ばしい匂いが鼻をくすぐる。上の子が「この野菜、変な味がする」と言いながらも、結局は全部食べていた。味覚というのは、その時の気分や温度に左右される。4月の少し冷たい外気と、ホテルの温かい食事。その鮮やかな温度差があるからこそ、一口ごとの味が、記憶に深く刻まれるのだと思う。
午前6時の部屋に差し込む、透き通った青白い光。Mikazuki CLUB9 せせらぎの静かな空間で、カーテンの隙間から漏れる光が、床の上に細い一本の線を描いている。セミダブルのベッドが二台並んだ空間で、子供たちが絡まり合って眠っている。その不格好で無防備な寝姿を見ていると、なんだか可笑しくなり、胸の奥が温かくなる。夜中にトイレまで歩いたときの、絨毯のふかふかとした感触と、わずかな足音。広い部屋の中で、自分の呼吸だけが聞こえる贅沢な時間。光と影のコントラストが、ゆっくりと時間をかけて変化していく様子を眺めていると、急がなくていいという至福の気分に浸れた。
指先に触れる、浴衣の少しざらついた綿の質感。子供たちにはサイズが大きすぎて、袖がだらりと垂れ下がっている。裾を何度も踏んづけて、おっとっと、とよろける姿。その不器用さが、たまらなく愛おしい。帯をきつく締めすぎたせいか、下の子が「お腹が苦しい」と文句を言い始めたけれど、鏡に映った自分たちの姿を見て、結局は満足そうに笑っていた。形に残るお土産よりも、こういう「サイズが合わない時間」の方が、後で思い出したときに、ずっと温かい気持ちになれるのかもしれない。
最後は、みんなで静かに川の流れを眺めていた。川側のお部屋から見える、春の気配を帯びた淡い緑の景色。誰が何を言い出すでもなく、ただ一緒にそこにいる。子供たちの呼吸が整い、心地よい疲れが身体を包み込んでいる。旅の終わりが近づくと、少しだけ寂しさが混じるけれど、それはこの場所で得た心地よさが、本物だった証拠だ。バラバラだった家族の歩幅が、少しだけ重なり合った気がする。答えを出す旅ではなく、ただ一緒に揺れていた時間。その余韻が、静かに心に溜まっていく。

耳の奥で、まだ川のせせらぎが小さく鳴っている気がする。

  • 子供と一緒にウォータースライダーに挑戦して、思い切り叫んでみてください。その解放感が一番の思い出になります。
  • 広いお部屋を最大限に活用して、家族で床にごろりと転がって、何もしない時間を共有してみてください。