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谷の青さは、窓の外に置いてきた

谷の青さは、窓の外に置いてきた

渓谷の冷気と、不揃いな足音のワルツ

指先が少しだけ痺れるような、三月特有の鋭い空気。東武ワールドスクウェア駅からホテルへ向かう道すがら、大人にとってはわずか数分の散歩に過ぎない道のりが、子供たちにとっては未知の領域を切り拓く大探検だった。道端に小さく顔を出した早春の蕾を探しては、上の子が「あっちに何かある!」と歓声を上げて駆け出し、下の子がそれに追いつこうとして、何度も小さな足をもつれさせていた。鬼怒川の渓谷から吹き上がってくる風は、まだ冬の記憶を色濃く残していて、吐き出す息は白く濁り、淡い青色の空に溶けていく。湿った土の匂いと、冷たい風が運ぶ森の香りが鼻腔をくすぐる。家族で歩くリズムは決して揃っていない。誰かがふと立ち止まり、誰かが急ぎ、誰かが道端の不思議な形の石ころに夢中になる。けれど、その不揃いな歩調こそが、旅の本当の輪郭を描き出しているように感じられた。私たちはただ、前方に灯る温かな琥珀色の光を目指して、冷たい風の中をゆっくりと進んでいた。

境界線を越えて、琥珀色の静寂へ

重いガラス扉を押し開けた瞬間、外の世界の鋭い音がふっと消え、心地よい静寂が訪れた。そこにあったのは、年月を経て使い込まれた木の深い香りと、凍えた肌を優しく包み込むような緩やかな温度。外の世界が冷徹な青色の光に支配されていたとしたら、鬼怒川温泉 ホテル万葉亭のロビーは、すべてを許容し、癒やす琥珀色の光に満ちていた。靴を脱ぎ、足裏に触れる床の質感が冷たいアスファルトから温かな木へと変わったとき、私たちはようやく「外」という緊張の鎧を脱ぎ捨てたのだと感じた。チェックインを待つ間、子供たちが騒ぎすぎないかという親としての小さな緊張感があったけれど、スタッフの方の穏やかな眼差しと柔らかな物腰に触れ、その強張っていた心はいつの間にかほどけていた。ここでは、子供が子供らしく、大人がただの大人でいていい。そんな、言葉にならない寛容さが空気の中に溶け込んでいる気がした。

十四畳の王国と、湯気に溶ける時間

案内された特別室の扉を開けると、そこには十四畳という、私たち家族にとって十分すぎるほどの「領土」が広がっていた。い草の清々しい香りが鼻をくすぐり、裸足で踏みしめたときの適度な弾力が、旅の疲れをゆっくりと解きほぐしていく。上の子はすぐに部屋の隅まで走り回り、「ここは僕の城だ!」と宣言し、下の子は畳の上でゴロゴロと転がって、まるでここが自分の王国であるかのように振る舞い始めた。大人はようやく重い荷物を置いて深くため息をつく。完璧に整った空間よりも、子供たちが散らかしたおもちゃや、脱ぎ捨てられた靴下が点在している光景の方が、ずっと心から安心できる。それが私たちの、ありのままの家族の形なのだから。

夕食の和洋バイキングでは、さらなる賑わいが訪れた。なかでも那須三元豚の豆乳鍋から立ち上がる真っ白な湯気が、視界を優しく遮る。一口すすると、豆乳のまろやかなコクと豚肉の旨みが、冷え切っていた身体の芯までじわりと染み渡った。野菜の甘みが溶け出したスープは、どこか懐かしく、慈しむような味がした。子供たちは慣れない箸使いに苦戦しながらも、「これ美味しい!」と声を上げ、口の周りを白くしながら夢中で食べていた。私は自分なりにエレガントに浴衣を着こなそうと試みたけれど、裾が少しだけ長すぎて、歩くたびに足にまとわりつき、危うく転びそうになる。その不格好な姿に、子供たちが小さく笑った。その屈託のない笑い声こそが、どんな高級な料理よりも、この旅を鮮やかに彩っていた。

その後は、貸切風呂での至福の時間。お湯に浸かった瞬間、身体の境界線が溶けていくような感覚に陥った。子供たちは水遊びのようにはしゃぎ、私はただ、お湯の温度が心地よいことに深く安堵していた。水面に反射する光が、天井でゆらゆらと金魚のように踊っている。その光の屈折をぼんやりと見つめているうちに、日頃抱えていた「親としての正解」を探し求める疲れが、ゆっくりと湯気に溶けて消えていった。もしかしたら、正解なんてどこにもなくて、ただこうして一緒に笑い、同じ湯に浸かっている時間そのものが、すべてなのだろうか。

窓越しに眺める、深い紺色の世界

夜が深まり、部屋の照明を落としたとき、窓の外に広がる鬼怒川の渓谷が、深い紺色に染まっているのが見えた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った谷底を、川の流れだけが絶え間なく、低い唸りを上げて刻んでいる。窓ガラスに映り込んだ自分たちの姿を見ると、そこには疲れ切って、けれどどこか満足げに寄り添う家族のシルエットがあった。外はまだ寒く、厳しい季節が続いているのかもしれない。けれど、この厚い壁と温かい畳に囲まれた空間にいれば、その寒ささえも、心地よいコントラストとして楽しめる贅沢なスパイスになる。

子供たちは、いつの間にか布団の中で絡まり合い、静かな寝息を立てていた。その小さな背中を見つめながら、私はふと思う。私たちはいつも、何かを「解決」しようとして生きているけれど、ここではただ、あるがままの混沌を抱えていていいのだと。欠けている部分があるからこそ、誰かの温もりが心地よく感じられる。空っぽの空間があるからこそ、そこに新しい記憶を詰め込むことができる。窓の外の青い闇は、もう私たちを脅かさない。むしろ、この部屋の温かさを際立たせるための、大切な背景のようなものに思えた。

明日になればまた、不揃いな歩調で歩き出すけれど、今はただ、この琥珀色の静寂に身を任せていたい。

  • 豆乳鍋のコクを最大限に楽しむなら、地元のゆばをたっぷり追加して、ゆっくりと時間をかけて味わってほしい。
  • 東武ワールドスクウェア駅からの徒歩ルートにある、小さな路地裏の景色を、ぜひ子供たちの目線で観察してみて。