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窓を叩く雨と、誰かの笑い声

裸足で踏みしめたカーペットの、心地よくも少しだけ弾力のある感触。リニューアルされたばかりのナチュラルモダンな空間は、僕たちにとって「子供がどこまで走り回っても壁にぶつからない広場」だった。下の子が握りしめたプラスチックの車が、滑らかな床の上を一直線に滑っていく。キュルキュルという小さな摩擦音が、静かな部屋に心地よく響く。大人が考える「バリアフリー」という機能性は、子供にとってはただの「自由な遊び場」に変換されるらしい。「見て見て!」とはしゃぐ声が、高い天井に吸い込まれていく。整理整頓なんて言葉はこの部屋には似合わない。散らばったおもちゃの隙間で、誰かが小さく笑っていた。


肩の力が、ふっと抜ける。140センチのベッドに体を沈めた瞬間、雨に濡れた靴下の不快感も、一日中子供を追いかけ回した疲労も、すべてが深いマットレスに吸い込まれていった。シーツのひんやりとした冷たさと、じわりと伝わる体温が混ざり合う、心地よい温度。上の子はもう夢の中。隣で深く、規則正しい寝息を立てる彼らの重なり合いを見ていると、旅の目的なんてどうでもよくなった気がする。「あぁ、やっと休める」と心の中で呟く。完璧なスケジュールをこなすことより、この静寂に身を任せることの方が、ずっと贅沢な気がする。
窓の外では、雨が一定のリズムでガラスを叩いている。低く、鈍い、世界を塗り潰すような音。それに対して、部屋の中では電気ケトルの沸騰する高い音が、鋭く、けれど温かく鳴っていた。外の湿った重い空気と、室内の乾燥した柔らかな温度の境界線。熊本ホテルキャッスル / KUMAMOTO HOTEL CASTLE は熊本駅まで歩いて3分という近さで、雨の日にはそれが最高の恩恵となる。濡れた傘を入り口に置いて、暖かい空間に逃げ込んだときの、あの深い安堵感。音に敏感な僕にとって、この「遮断された静けさ」こそが、この旅で一番心地よい音楽だったのかもしれない。
小代焼のカップから立ち上る、白く濃い緑茶の湯気。指先に伝わる陶器の、土の温もりを宿した少しざらついた質感。熊本県産の茶葉が、ゆっくりと、深い琥珀色から鮮やかな緑へと色を濃くしていく。一口飲むと、喉の奥に心地よい苦味が広がり、心まで洗われるようだ。上の子が「にがい!」と言って顔をしかめたけれど、その幼い表情がなんだか可笑しくて、思わず吹き出した。高級なディナーよりも、雨の午後に家族で囲むこの一杯のお茶の方が、記憶に深く刻まれる。味覚というのは、その時の温度や湿度の記憶と一緒に保存されるものらしい。
窓ガラスに付いた雨粒が、外の景色を小さく分断していた。ふと見ると、曇り空の重いグレーが、水滴という小さなレンズを通って、微かな虹色に屈折している。プリズムのような現象。世界がバラバラに分解されて、また不器用に組み合わさる。遠くに望む熊本城の輪郭が雨にぼやけて、光の粒子だけが幻想的に踊っている。人生もきっと、こういうことなのだろう。直線的に正解へ進むのではなく、何度も屈折して、予期せぬ色に変わる。その不自由さと不確かさが、旅を旅たらしめているのだと思う。
子供用の浴衣。袖が少しだけ長くて、歩くたびに裾をひっかけそうになる。それを一生懸命に着ようとして、もがいている下の子の小さな背中。帯を締めようとするけれど、どうしても中心がずれて、右に寄ってしまう。結局、適当に結んで「これでいいよ、かっこいいよ」と笑い合った。和洋室の落ち着いた空間に、不格好な浴衣姿の子供が一人。機能性なんてないけれど、その不完全さがたまらなく愛おしい。熊本ホテルキャッスル / KUMAMOTO HOTEL CASTLE に用意されていた小さな浴衣は、僕たちに「正しさ」よりも「心地よさ」を優先することを教えてくれた気がする。
200センチを超える大きなベッドに、家族全員で潜り込む。誰が誰の足に触れているのかわからない、もつれた四肢。肌と肌が触れ合う、確かな体温。外の雨はまだ止まないけれど、この四角い空間だけは、世界で一番安全なシェルターのように感じられた。誰一人として完璧じゃないけれど、この不完全さが心地いい。言葉を交わさなくても、隣に誰かがいるという温もりだけが、確かな答えとしてそこにあった。明日になればまた賑やかな騒動が始まるけれど、今はただ、この静かな重なり合いに浸っていたい。

雨上がりの空気が、少しだけ冷たく、けれど澄んでいた。

  • ユニバーサルルームは、お子さんが自由に動けるスペースが広いため、小さなお子様連れの方に本当におすすめです。
  • 熊本駅からのアクセスが非常に良いため、雨の日でもストレスなくチェックインでき、家族の機嫌を損ねずに済みます。