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浴衣の裾を追いかけていた、あの冬の入り口

凛とした冬の空気が、鼻の奥をツンと刺激する。下の子が、自分の足よりもずっと長い浴衣の裾を踏んで、たどたどしく廊下を走っていく。裸足で踏みしめる古い木の感触は、少しだけひんやりとしていて、それでいてどこか懐かしい。パタパタという小さな足音が、静かな奈良屋の空間に心地よいリズムを刻んでいる。上の子は「僕はもう大人だから」と、わざとゆっくり歩こうとしていたけれど、結局は弟を追いかけて走り出した。その背中を見ていると、家族というものは、誰かが走り出せばみんながそれに巻き込まれる、心地よい連鎖のようなものかもしれない。


肩までどっぷりと浸かったとき、白旗の湯の重みが肌に伝わってくる。源泉掛け流しの濃厚なお湯が、強張っていた肩の力をゆっくりと溶かし出していく。湯守さんが丁寧に調整したというお湯は、まるで絹のように肌に吸い付く滑らかさがある。目を閉じると、耳のあたりまでお湯に浸かり、外の世界の喧騒が遠のいていく。ただ、お湯がかすかに揺れる音だけが耳に届く。隣で「あついー!」と騒いでいた子供たちが、いつの間にか静かになり、お湯の中でぷかぷかと浮いている。この静寂こそが、何よりも贅沢な時間なのだと感じる。
ガチャン、と重い引き戸が閉まる音。その音ひとつで、外の湯畑の賑わいがふっと消え、しんとした空気が戻ってくる。遠くで聞こえる冬の風の音と、時折混じる誰かの密やかな笑い声。音がない空間ではなく、心地よい静寂が層になって重なっている。泉游亭の広い部屋に身を置くと、自分の呼吸がいつもより深く、ゆっくりになっていることに気づく。空間の余白が、心にある小さな隙間を優しく埋めてくれる。もしかすると、旅とは何かを足しに行くことではなく、余計な音を削ぎ落としに行くことなのかもしれない。
夕食に添えられていた地元野菜の、土の香りがする深い甘み。口の中でゆっくりと広がったとき、ふと、幼い頃に食べた記憶が呼び覚まされるような気がした。温かいお茶を啜り、立ち上る湯気の向こう側で、上の子が魚の骨を器用に外している。下の子は、お箸の使い方を間違えて、ご飯粒を頬につけて笑っている。そんな、なんてことのない食卓の風景。高級な料理であることよりも、この不格好で温かな時間が、今の私たちには一番必要だったのかもしれない。
窓の外では、晩秋の紅葉が夜の闇に溶け込もうとしている。街のイルミネーションが、濡れた路面にオレンジ色の光を落としていた。部屋の灯りを少し落とすと、天井の梁が深い影を作り、空間に奥行きが生まれる。光と影の境界線が曖昧になる時間。子供たちが、浴衣をマントのように羽織って「ヒーローだ!」と部屋の中を駆け回っている。その滑稽で愛おしい姿が、琥珀色の間接照明に照らされて、映画のワンシーンのように見えた。ふふっと、小さく笑いが漏れる。
畳に指先で触れると、い草のざらりとした質感が心地よい。使い込まれた畳の、わずかに凹んだ感触。そこに寝転がると、部屋全体に漂う、古い木と温泉の混ざった香りが鼻をくすぐる。子供たちが、私の腕の中に潜り込んできて、もぞもぞと心地よい場所を探している。布が擦れる音、小さな寝息。形のない安心感が、物理的な重さを持って、私の胸の上にのしかかっている。この心地よい重みこそが、今の私にとっての正解なのだと思う。
最後の一人が深い眠りに落ち、部屋に本当の静寂が訪れる。外ではまだ、草津の街が誰かの旅を彩っているけれど、ここではただ、家族の呼吸だけが重なり合っている。完璧なスケジュールなんて、最初から必要なかった。迷子になったことも、上の子が駄々をこねたことも、すべてはこの静かな夜に辿り着くための大切な過程だったのかもしれない。私たちはただ、ここにいればいい。それだけで、十分すぎるほど満たされている。

湯煙の向こうに、小さな手がぎゅっと握りしめられていた。

  • 子供と一緒に、湯畑の散策後に暖かい甘酒を飲んで、冷えた指先を温め合う時間を作ってみてください。
  • 泉游亭の広い畳スペースで、家族全員でゴロゴロしながら、あえて何もしない時間を過ごすのがおすすめです。