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パジャマに残った、かすかな硫黄の匂い

パジャマに残った、かすかな硫黄の匂い

冷たい空気が、鋭い針のように鼻の奥を刺す。視界を白く塗り潰すほどの濃厚な湯気が、街全体を幻想的なヴェールで包んでいた。湯畑のあたりをあてもなく歩いていると、ふいに下の子が私の袖を引いて聞いた。「ねえ、この町、全部茹でられてるの?」

正解なんて持っていない。けれど、その突拍子もない想像力に、私たちはただ一緒に笑った。それが、この旅の静かな始まりだった。

家族での旅行は、いつだって緻密なチーム作戦だ。もっとも、作戦会議が全く機能しない種類のものだけれど。私たちが辿り着いたのは、草津温泉ホテル 櫻井。本客殿露天風呂付き客室の重厚な扉を開けた瞬間、静謐な和の香りと、凛とした静寂が私たちを迎えてくれた。しかし、そこに嵐のような子供たちがなだれ込む。畳の上に散らばる色とりどりの玩具。脱ぎ捨てられた靴下。静寂という名の贅沢をゆっくりと味わおうとした私の計画は、開始五分で脆くも崩壊した。

「どっちの枕が大きいの!」と上の子が大騒ぎし、下の子は浴衣をマントのように羽織って、長い廊下を風のように駆け抜けていく。秋の夜長に読書を愉しもうという私のささやかな願いは、子供たちの歓声にかき消された。けれど、不思議と心地よかった。まあ、いい。そういうことなのだ。

この家族の在り方は、和紙に落とした一滴の墨に似ている気がする。最初はそれぞれが独立した、濃くて鋭い点だ。親の期待、子供のわがまま、個々の不機嫌。けれど、草津の熱い湯に身を委ね、同じ時間を共有しているうちに、その境界線がゆっくりと滲み出していく。濃淡が混ざり合い、輪郭がぼやけて、最後には一つの大きな、名もなき模様になる。完璧な円ではない。歪で、塗りムラがある。けれど、その滲みこそが、私たちが「家族」という形に溶け合っている証拠なのだと思う。

食事の時間は、さらに賑やかなカオスだった。地元の滋味溢れる料理が並ぶが、子供たちは付け合わせの野菜を、まるで精密な作業のように皿の端へ避けていく。その執念深さには、ある種の才能さえ感じた。けれど、食後のデザートが運ばれてきた瞬間、彼らの瞳に同時にパッと光が灯る。その単純で純粋な幸福感に、大人の私たちは救われる。結局、旅の記憶に深く刻まれるのは、豪華な設備ではなく、こういうどうしようもない、愛おしい瞬間なのだ。

家族の記憶に滲んだ、五つの断片

  • ぶかぶかの浴衣:裾が畳に擦れるササッという音。歩くたびにずり落ちる襟元の心もとなさ。それを一番に指摘して、お腹を抱えて笑ったのは上の子だった。
  • 卵のような硫黄の匂い:髪の毛やパジャマに深く染み付いた、温泉街特有の香り。これこそが温泉に入った証拠だと、下の子が誇らしげに鼻を鳴らしていた。
  • 畳のひんやりした感触:触れた瞬間は冷たいけれど、次第に体温でじんわりと温まっていく。その心地よさに意識を溶かし、そのまま寝落ちしたのは私だった。
  • 廊下のコトコトいう音:裸足で走る小さな足音が、木の床に心地よく反響する。スタッフさんが日本庭園を眺めながら苦笑いして見守っていた、賑やかなリズム。
  • 窓に張り付いた一枚の紅葉:濡れたガラスにぴたっと吸い付いた、燃えるような赤。それを見つけて「お魚みたい」と小さな指で指差したのは、下の子だった。
車窓から流れる景色の中、子供たちが同時に深い寝息を立てている。その静寂が、今は何よりも心地よい。
  • 子供と泊まるなら、あえて「静かにしなくていい」と自分に許可を出して、一緒に騒いでほしい。
  • 湯畑まで歩く道すがら、子供の視線に合わせて、地面に落ちている不思議な形の石を探してみるのがおすすめ。