← 回到 草津溫泉喜悅之宿 高松

草履の跡が残る廊下

草履の跡が残る廊下

足音だけで、誰が通ったのかわかった。

小さな足が廊下を歩くと、草履の底が床を叩く音が「カツン、カツン」と響く。踵がわずかに上がり、リズムが不安定ながらも、純粋な興奮が伝わってくる。母の足音は靴下の先がほつれていて、布が床に触れる瞬間に「シュル、シュル」と微かな摩擦音が混ざる。父は裸足で、テラゾータイルの冷たさに一瞬足がすくむが、温泉の湿気が包み込むぬくもりがすぐに戻ってくる。 ---

浴衣の袖口にうっすらと汚れがついていた。父は指先でそっとそれをなぞりながら、「これ、掃除すれば落ちるかな?」と尋ねた。母は浴衣を畳む手を止め、微笑んで「いいの、そのうち慣れるから」と答えた。その一言で、部屋に流れていた緊張が溶け、空気がゆるんだ。 ---

露天風呂から立ち上る湯気が、夜の静寂に溶け込んでいく音がした。「風がないから、湯気が真上に昇るのね」と祖母が呟く。祖父は「月見の日は空気がいつも澄んでいるから」と答え、月光が庭のススキを照らす。 ---

月見団子のあんこが、上州和牛の脂の甘さに負けそうになった。子供たちは口々に「これ、あんこじゃなくて肉の味が強い!」「でもあんこもおいしい!」と笑い合う。口の周りには白い粉がついていて、それがまた愛らしい。 ---

廊下の窓から月が見えた。ススキが風に揺れ、月光が遮られたり差し込んだりするたびに、子供たちは「月が隠れた!」と大声を上げて追いかけた。 ---

ロビーの隅に、使われていない団扇が置いてあった。表面の絵は色あせていたが、扇の骨組みはしっかりしていた。父が手に取って扇いでみると、「これ、草津のお祭りで使うやつかもな」と呟いた。母は懐かしそうに目を細め、かつての思い出がよみがえる。 ---

朝の6時、誰も起きていない時間に、廊下をすり足で歩く音がした。浴衣の裾が床をかすめる音だけが響く。母はベッドからそっと起き上がり、その姿を窓越しに見送った。「 nuovissimo湯の時間かな」と呟くと、温泉の湯気が窓ガラスを曇らせた。

あの光景が、ずっと残っていた。

  • 草津温泉喜びの宿 高松の半露天風呂で、家族でゆっくりと過ごす
  • 裏草津地蔵と西の河原露天風呂を巡るウォーキングコースを楽しむ