← 回到 藥師之湯 湯元館

湯気の向こうで、小さな手が私の指を握っていた

湯気と笑い声に包まれる、心ほどける朝食

午前七時。部屋の空気がまだ凛としていて、布団の温もりにしがみつきたくなる時間だ。足先が畳に触れたとき、その心地よい冷たさに、あぁ、本当に旅に来ているのだと意識が覚醒する。子供たちはまだ半分夢の中にいて、上の子が「お腹すいた」と小さく呟き、下の子が寝ぼけて私の腕を枕にする。そんな、ゆっくりと伸びる時間の贅沢。薬師の湯 湯元館の朝食会場へ向かう廊下には、どこか懐かしい杉の香りが漂い、裸足で歩く感覚が心地いい。

会場に足を踏み入れると、そこは外の寒さを忘れさせる別世界だった。立ち上る味噌汁の白い湯気が視界を柔らかく染め、誰かが笑う声が心地よく反響している。子供たちは、目の前に出された炊き立てのご飯に目を輝かせ、焼き魚の切り身を巡って小さな交渉を始めていた。私は温かいお茶を啜りながら、その賑やかさを静かに眺める。完璧な静寂よりも、こういう、少しだけ騒がしい調和の方が、今の私たちには合っている気がした。お箸を持つ手がまだぎこちない下の子が、口の周りを味噌汁で汚しながら笑う。その瞬間、冬の間に凝り固まっていた心のどこかが、春の陽光に照らされた雪のように、ゆっくりと解けていく感覚があった。

硫黄の香りと、指先に灯る小さな熱

お腹を満たした後は、家族という名の「チーム作戦」が始まる。厚手のコートを羽織り、マフラーをぐるぐる巻きにして外へ出ると、三月の草津の風が容赦なく頬を叩いた。湯畑へ向かう道すがら、下の子がふと足を止めて、「ねえ、お湯はどこから湧いてくるの?」と不思議そうに聞いてきた。正直に言って、私たち大人も正確な答えは知らない。けれど、その「わからない」という感覚こそが、旅という未知への冒険の醍醐味なのだと思う。空を覆う白い煙が幻想的に揺れ、辺り一面に広がる濃厚な硫黄の香りが、鼻腔を心地よく刺激する。

道端で見つけた温泉まんじゅうを買い、紙袋越しに伝わる熱を手のひらでじっくりと感じながら歩く。もぐもぐと頬張る子供たちの口元から、白い息がリズムよく漏れている。上の子が「桜はいつ咲くかな」と澄んだ空を見上げ、私たちはスマホで開花予想を確認する。正解を急ぐのではなく、ただ一緒に待つ時間。そんな、目的のない歩き方が、不思議と贅沢に感じられた。途中で自分がどのスリッパを履いていたか忘れ、しばらくの間、片方だけ違う色のものを履いて歩いていたことに気づいたときは、家族全員で小さく笑い合った。そんな、どうでもいい失敗こそが、旅の記憶に一番深く刻まれる。空気は刺すように冷たいけれど、手の中にあるまんじゅうの熱と、隣にいる家族の体温が、今の私たちには十分すぎるほどの正解だった。

畳の上で分かち合う、夜の濃密な静寂

一日中歩き回り、心地よい疲労感に包まれた夜。薬師の湯 湯元館の温泉にゆっくりと浸かり、心身ともに解きほぐされた状態で和室に戻ると、そこには家族だけの親密な空間が広がっていた。子供たちはもう限界で、浴衣の袖をひらひらさせながら畳の上をごろごろと転がっている。お風呂上がりの火照った肌に、冷たいエアコンの風が心地よく触れる。コンビニで買い込んだ、ちょっとしたお菓子と飲み物を広げるのが、私たちの夜の儀式だ。

ポテトチップスの袋を開ける乾いた音が、静まり返った部屋に心地よく響く。上の子が「明日は何をする?」と、まだ眠い目をこすりながら聞いてくる。私たちは具体的な計画を立てる代わりに、「なんとなく、いい方向へ行こう」と答えた。正解のない問いに、正解のない答えを出す。そんな時間が、日常の家ではなかなか持てない。子供たちが一人、また一人と深い眠りに落ち、部屋には私たち夫婦だけの時間が訪れる。畳のい草の香りと、遠くで聞こえるかすかな風の音。昼間の騒がしさが嘘のように静かだけれど、その静寂は寂しいものではなく、充足感に満ちた心地よい空白だった。誰かの期待に応えるためではなく、ただ自分たちが心地よいと感じるリズムで呼吸をする。そんな、贅沢な時間の使い方がここにはあった。明日になればまた、子供たちの「お腹すいた」という叫び声で目が覚めるのだろう。けれど、今はただ、この穏やかな温度に身を任せていたいと思う。

家族の寝息が、心地よいリズムで部屋を満たしている。

  • 湯畑周辺で味わう、焼きたての温泉まんじゅうの熱さをぜひ体験してほしい
  • 早朝の澄んだ空気の中、湯けむりに包まれて散歩をする時間は格別だ