足の裏が畳に沈むまで、外はまだ暗かった
布団から這い出すと、空気が頬を打った。冷たいのに、なぜか心地いい。窓の隙間から漏れる薄明かりが、畳の織目に沿って這っていた。私たちは黙っていた。声よりも先に、足の裏が畳の温もりを覚えた。その熱が、体の芯まで届くまでに、どれだけの時間がかかったのだろう。
外に出ると、空気が氷の粒を含んでいた。息を吐くと、白い煙が一瞬だけ宙に浮かぶ。湯畑の方から、低い湯気の流れが見えた。誰もいない道を、私たちは提灯を手に歩き出した。提灯の灯りが、雪のような粒子を切り裂く。
「今日が初詣か」
「そうらしい。でも、お賽銭箱の前で何を祈るか、決まってる?」
私は黙った。決まってなんか、いない。でも、その沈黙が、二人にとっての正解だった。
畳の上で、二人の体重が同時に消えた
戻ってきたとき、部屋は暖かかった。床の間に飾られた梅の枝が、うっすらと赤みを帯びていた。客室の露天風呂に浸かる頃には、外は完全に明るくなっていた。
湯船に足を入れると、瞬間的に体が引っ込む。でも、深呼吸をして、そのうちに慣れた。湯の流れが、背中の筋を揉みほぐすように動く。肌に触れるお湯の温度は、まるで春の小川の水のようだった。微かに硫黄の香りが混じり、それがまた、草津の大地の恵みを感じさせた。
「この湯、本当に体の奥まで温まるね」
「うん。まるで、体の中に小さな炉が灯るみたい」
私たちは背中合わせに座った。湯気が、二人の間で揺れていた。外の世界が、遠く感じられた。露天風呂の縁に手を置くと、木のざらつきが肌に心地よかった。時折、風が木々を揺らす音が聞こえ、その音色が湯気と共に立ち上る。
ふと、隣の人が小さく息をついた。その音が、まるでこの場所の一部であるかのように、自然に聞こえた。
「この湯、草津の湯畑から引いてるって聞いたけど、本当に特別な気がする」
「そうなんだよね。草津の湯は、ただ温かいだけじゃなくて、体を包み込むような感じがする」
二人の間に、静かな満足感が広がった。湯船の底で、お湯が絶えず流れている音が聞こえる。そのリズムが、まるで時計の針のように、ゆっくりと時を刻んでいるようだった。
外の景色は、白い湯気で霞んでいたが、その中にうっすらと青空が透けて見えた。まるで、このお湯が空と地上を繋ぐ架け橋のようだった。
「このまま、時間が止まってしまえばいいのに」
「そうだね。でも、止まらなくても、この瞬間だけで十分かな」
私たちは、お湯に浸かったまま、ただ静かに呼吸をしていた。体の疲れが、お湯と共に溶けていくようだった。
屋上テラスで、星が降りてきた
夕方になった。屋上テラスに上がると、空気が一段と冷たくなった。でも、体はまだ温まっていた。テーブルに置かれたミカンの皮をむく音が、静寂に響く。
提灯の灯りが、町の屋根を照らしていた。遠くに、草津の街並みが見えた。
「 tonight、流れ星が見られたらいいのに」
「見えるかも。この空の暗さなら」
私たちは、空の一点を見つめていた。会話は必要なかった。ただ、同じ方角を見上げていることが、十分だった。
お湯が冷めるまで、私たちはそこにいた
夜も更けてきた。大浴場の脱衣所で、タオルを絞る音が聞こえる。部屋に戻ると、布団が温められていた。
「今日、楽しかった」
「うん。でも、思い出すとしたら、たぶん、この沈黙の方が多い気がする」
私たちは、布団に入ったまま、手を繋いだ。外の風が、屋根を撫でる音が聞こえた。時間が、ゆっくりと流れていた。
この夜、私たちは自分たちの居場所を見つけた
- 1月の草津で、初詣の参道を提灯の灯りだけを頼りに歩く。体感温度は氷点下だが、湯気のぬくもりがそれを和らげる。
- 裏草津 蕩 TOUの客室露天風呂で、二人分の体重が同時に消える感覚を確かめる。湯の流れが、背中の筋をほぐすように動くその瞬間を待つ。