← 回到 禾家商旅

「ここ、本当にいいところだね」

君がそう言って、ホテルのエントランスにある直線的なデザインの壁にそっと指先を触れた。冷たく滑らかなコンクリートの質感が、冬の静寂をそのまま形にしたように心地よい。「うん。ちょっと冒険しすぎたかなって思ったけど」僕は足元のタイルのひんやりとした感触を確かめながら答える。目的地を決める時、僕たちはいつも迷いながら、けれど惹かれ合うようにこの場所を選んだ。

ほどけていく、冬の朝の静寂

部屋に足を踏み入れると、そこには過剰な飾り気のない、静謐な空間が広がっていた。禾家商旅の客室を支配しているのは、僕たちの思考を邪魔することのない、潔いほどに真っ直ぐなラインだ。特に、小さく区切られた書斎のようなスペースが気に入った。そこは、二人で一つの画面を覗き込んだり、古びた地図を広げたりするのにちょうどいい距離感だった。肩と肩が触れるか触れないかの、そのわずかな隙間に、言葉にならない安心感がゆっくりと溜まっていく。

バスルームの扉を開けると、そこには乾いた空間と濡れた空間が明確に分かれていた。浴槽に溜めたお湯の温度が、ちょうどいい。肌に触れた瞬間に、旅の緊張で強張っていた肩の力がふっと抜けていく。鏡が白い湯気でゆっくりと曇っていく様子を眺めていると、外の世界で張り詰めていた何かが、温かな水に溶け出していくのが分かった。お湯の音だけが心地よく響く密室で、僕たちはただ、そこに在ることを許されていた。

翌朝、静かなノックの音がした。部屋に届けられた朝食のボックス。プラスチックの容器から伝わる確かな温もりを手に取り、僕たちはベッドの中でそれを開けた。中西式のメニューが丁寧に詰め込まれていて、立ち上る湯気と共に漂う香ばしい匂いが、冬の朝の心地よい眠気を優しく呼び覚ます。誰にも邪魔されず、パジャマのままで、ゆっくりと食事を分かち合う時間。それは、レストランで向き合って食べるよりもずっと親密で、二人だけの贅沢な儀式のように感じられた。

ふと気づくと、エアコンの効きが良すぎて、部屋の中が少し冷えすぎていた。僕たちは笑いながら、一枚の大きなブランケットに二人で潜り込んだ。大きな繭の中に閉じ込められたみたいな、おかしな光景。でも、その密着した温度こそが、今の僕たちには必要だったのかもしれない。

外に出れば、12月の苗栗の空気は凛としていて、どこか土と茶葉が混ざり合ったような、懐かしい匂いがした。駅から歩いて十分ほどの道のり、あるいは英才夜市までの短い散歩。冷たい風が頬を撫でるけれど、繋いだ手のひらだけは熱い。夜市で買った温かい食べ物の香りが、冬の夜空に溶けていく。歩幅を合わせ、呼吸を合わせ、僕たちは自分たちだけの心地よいテンポを、この街で見つけ始めていた。

窓の外に広がる苗栗の夜空に、僕たちの静かな時間がゆっくりと溶けていった。

  • 夜市で買った温かい食べ物を、二人で分け合ってゆっくり歩いてみて。
  • 朝食を部屋で楽しみながら、次の行き先をあえて決めない時間を過ごして。