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8月の苗栗は、空気が濡れた綿のように重く、肌にまとわりつく。車の窓を少しだけ開けると、熱を帯びた土の匂いと、どこか遠くで鳴り響く蝉の声が混ざり合って、耳の奥に心地よい圧迫感を作る。外界から切り離された聖域へと続く吊橋を渡る際、足元から伝わるわずかな揺れが、日常から非日常へと意識を切り替えるスイッチのように感じられた。川の流れが足下で低く唸り、湿った風が頬を撫でる。虎山溫泉會館(湯之島)-泰安溫泉に

8月の苗栗は、空気が濡れた綿のように重く、肌にまとわりつく。車の窓を少しだけ開けると、熱を帯びた土の匂いと、どこか遠くで鳴り響く蝉の声が混ざり合って、耳の奥に心地よい圧迫感を作る。外界から切り離された聖域へと続く吊橋を渡る際、足元から伝わるわずかな揺れが、日常から非日常へと意識を切り替えるスイッチのように感じられた。川の流れが足下で低く唸り、湿った風が頬を撫でる。虎山溫泉會館(湯之島)-泰安溫泉に辿り着いたとき、私たちはどちらからともなく、少しだけ距離を置いて歩いた。もしかすると、まだお互いの歩幅を測りかねていたのかもしれない。ロビーに足を踏み入れた瞬間、足裏に伝わるタイルのひんやりとした温度が、外の熱気をゆっくりと追い出していく。案内された樸石双人客房のバルコニーに出ると、ちょうど雨が降り始めていた。激しい雨ではないけれど、しとしとと、世界の色を塗りつぶしていくような静かな雨。その音を聞いていると、ふと、私たちがこれまで積み上げてきた言葉の数よりも、この沈黙の方がずっと雄弁であるという気がしてくる。リネンの乾いた匂いと、外から漂ってくる濡れた草木の香りが混ざり合い、部屋の中には独特の静寂が満ちていた。「いい雨だね」とあなたが小さく呟いた声が、湿った空気に溶けて消える。その控えめな温度感に、私の心は少しだけ緩んだ。夕食にいただいたチョウザメ火鍋は、白く濁った濃厚なスープから立ち上る湯気が、私たちの視界を優しく遮っていた。口に運んだ身は驚くほど鮮やかで、とろけるような柔らかさが舌の上でほどけていく。その贅沢な味わいが、緊張していた心と体をゆっくりと解きほぐしていくのが分かった。お風呂に浸かったとき、肌に触れたのは滑らかな小石の感触だった。抿石子浴池という名前のその場所で、お湯の温度がちょうどよかったことに気づいたとき、隣にいたあなたの肩が、ほんの数センチだけこちらに寄った。そのわずかな距離の短縮が、どんな誓いの言葉よりも誠実に感じられた。お湯の表面に揺れる湯気と、時折聞こえる雨粒が石に当たる音。私たちは、完璧な二人になろうとするのではなく、ただ同じ温度の中に身を置いていればいいだけだったのかもしれない。深夜、部屋の明かりを消して、外から聞こえる風の音に耳を澄ませる。暗闇の中で、あなたの呼吸の音が、私の心拍数と少しずつ同期していくのが分かった。それは、誰にも聞こえない、私たちだけの共鳴のようなもの。もしかすると、旅とは目的地に行くことではなく、こうして誰かと一緒に、心地よい不確かさの中に身を置くことなのかもしれない。タイルの冷たさと、お湯の温かさ。雨の匂いと、あなたのシャンプーの香り。それらが重なり合って、一つの記憶の層を作る。私たちはまだ、お互いの音色を完全に理解しているわけではないし、これから先、うまく合わない音を出すこともあるだろう。けれど、この虎山溫泉會館(湯之島)-泰安溫泉で過ごした静かな時間がある限り、私たちは何度でもリズムを合わせ直せる気がする。窓の外ではまだ雨が降り続いていて、その一定のテンポが、私たちの間に流れる時間をゆっくりと、けれど確実に、心地よい方向へ導いてくれていた。裸足で踏みしめる床の感触や、湯上がりの肌に触れる夜風の温度。そうした小さな身体的感覚だけが、今の私たちにとって唯一の真実であるという気がして、私はただ、隣にいるあなたの体温を感じていた。

  • 虎山溫泉會館(湯之島)-泰安溫泉の「抿石子浴池」で、雨音に耳を傾けながら心身を解きほぐす。
  • 贅沢なチョウザメ火鍋を囲み、湯気の向こう側にある大切な人との距離をゆっくりと縮める。