手のひらに張り付いたキーカードの、ひんやりとしたプラスチックの質感。チェックインを済ませてエレベーターに乗り込むとき、末っ子が私の足の甲に飛び乗ってきた。少しだけ重いけれど、心地よい衝撃。10月の苗栗は、空気がちょうどいい。暑すぎず、寒すぎず、ただそこにある風が肌を撫でていく。そんな季節に、私たちは尚順君樂飯店の重い扉を押し開けた。ロビーに足を踏み入れた瞬間、洗練された空間に漂うかすかなアロマの香りと、外の喧騒を遮断する静寂が、旅の始まりを告げていた。
なぜ、家族でこの場所を選んだのか?
たぶん、誰にとっても「完璧な家族旅行」なんてものは存在しないからだと思う。上の子は自分のペースで歩きたいし、下の子は道端の石ころに夢中になる。大人はそれを追いかけ、予定表という名の幻想を追い求める。でも、ここにあるのは、そんなバラバラなリズムをまるごと包み込んでくれる、大きな容器のような空間だった。ホテルから連廊で直接つながっている「尚順育樂世界」の賑やかさは、いわば高周波の音の塊だ。子供たちの歓声やアトラクションの機械音が混ざり合い、心地よい興奮が空気を震わせている。けれど、尚順君樂飯店の部屋に戻った瞬間、その音の波がふっと消える。足を踏み出したとき、厚手のカーペットが靴音を静かに飲み込んでいく感覚。広々とした客室に広がる開放感と、清潔なリネンの香りが、張り詰めていた心をゆっくりと解きほぐしていく。それは、ずっと深く息を吸い込んでいた肺から、ゆっくりと空気が抜けていくような、深い解放感だった。騒がしい外の世界と、静かな室内の境界線。その鮮やかなギャップがあるからこそ、家族で一緒にいるということが、心地よい重みを持って感じられる気がした。
子供たちが一番心を動かされたのは、どんな瞬間だったか?
それは、意外にも豪華な設備よりも、もっと小さな、色彩の断片だったと思う。2階にある色彩豊かな「景隅バー」でアフタヌーンティーを頼んだときのことだ。運ばれてきた色とりどりのマカロンを見た瞬間、末っ子の目が、今まで見たことがないくらい大きく見開かれた。彼にとって、それは食べ物というよりは、どこか遠い国から届いた宝石のコレクションのように見えたのかもしれない。小さな指で慎重にマカロンをつまみ上げ、口に運ぶ。サクッとした薄い殻が崩れ、中の濃厚なクリームが舌の上でゆっくりと溶けていく。そのとき、彼は「これ、虹の味がする!」と、根拠のない、けれど誰よりも確信に満ちた言葉を口にした。大人はそれを笑ってやり過ごすけれど、子供の視点から見れば、その一粒に世界中の色彩が凝縮されていたのだろう。また、「点心坊」で食べた手作りの点心も忘れられない。竹籠から立ち上る真っ白な湯気と、食欲をそそる香ばしい香り。皮の透き通った質感や、中から溢れ出す熱い肉汁。彼らは味というよりも、その「体験」の手触りを楽しんでいた。正解のない問いに、彼らなりの答えを見つけていく。そんな時間を、ただ隣で眺めていられることが、何よりの贅沢だったと感じる。
ここを離れるとき、心に何が残っているだろうか?
おそらく、それは特定の景色ではなく、肌に残った温度のようなものだろう。深夜3時、みんなが深い眠りに落ちて、部屋にだけ静寂が満ちている時間。ふと目を覚まして、隣で丸まって眠る子供たちの規則正しい呼吸音を聞く。真っ白なシーツの、清潔で少しだけ硬い感触。窓の外からは、10月の夜風がかすかに鳴っている。もしかすると、私たちは旅先で「何か」を得ようとしていたのかもしれないけれど、実際には、ただ「そこにいること」を確認し合っていただけなのかもしれない。足りないものがあるからこそ、誰かを求める。空白があるからこそ、そこに誰かが入り込める。そんな当たり前のことが、このホテルの静かな空間の中で、ゆっくりと腑に落ちていく感覚があった。完璧に整えられたスケジュールよりも、途中で迷い込んだ路地や、誰かがこぼしたジュースのシミ、そして最後にみんなで交わした「また来ようね」という、根拠のない約束。そういう不完全な断片こそが、後になって一番鮮やかな色で思い出されるのだと思う。
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、白いベッドの上に細い線を描いていた。
- 街中にある「江技旧記」のワンタンを試してみてほしい。三代続くスープの深みが、旅の疲れを静かに溶かしてくれるはずだ。
- 10月の苗栗は散歩に最適だ。あえて目的地を決めず、風が吹く方向に歩いてみることをおすすめする。