← 回到 泰安觀止溫泉會館

なぜ、家族をこの静寂の場所へ連れてきたのだろうか?

指先で触れた壁は、ひんやりとしていて、わずかにざらついている。泰安觀止溫泉會館の象徴ともいえる清水模の壁は、どこまでも静かで、感情を持たない。しかし、そこに子供たちの賑やかな足音が響いた瞬間、この無機質で冷たいはずの空間に、不思議な体温が宿るのがわかった。まるで真っ白なキャンバスに、鮮やかな絵の具が飛び散ったときのような、心地よい違和感だ。

家族旅行というものは、往々にして「チーム作戦」のような緊張感を伴う。誰かが機嫌を損ねないか、予定通りに動けるか。大人は常に指揮者のように、調和を気にしすぎる。けれど、この極簡風の空間に身を置くと、その緊張感が、心地よい諦めに変わっていく。杉の木の床が歩くたびに小さく鳴り、外からは竹林が風に揺れるさらさらという音が聞こえてくる。山あいの澄んだ空気が肺を満たし、思考がゆっくりと凪いでいく。そんな環境に浸っていると、ふと、「完璧にコントロールすること」を手放してもいいのかもしれないと感じるのだ。

ロビーの大きなガラス窓から差し込む柔らかな光が、子供たちの跳ねるような動きを鮮やかに映し出していた。整然としたミニマリズムの空間に、色とりどりの子供服と、あちこちに散らばったおもちゃ。そのコントラストが、なんだかとても愛おしく思えた。ここは、静寂を享受する場所であると同時に、家族という名の賑やかなパズルを、時間をかけてゆっくりと組み立て直すための聖域なのだと思う。

子供たちが一番心を奪われたのは、一体何だったのか?

「ねえ、お湯の中に泡の工場があるよ!」

次男が、客室のジャグジーの中で歓声を上げた。お湯の温度は肌に心地よく、わずかにとろみがある。ミネラルたっぷりの水が指の間を滑り落ちる感覚は、まるで液体に溶けた絹に触れているみたいだ。子供たちは、弾ける泡の音に夢中になり、水しぶきを上げてはしゃいでいる。大人がつい「静かにしなさい」と言いかけ、その言葉を飲み込んだ。だって、彼らの目は、この世界で一番面白い発見をしたときの、純粋な輝きに満ちていたから。

壁一面のガラス窓の向こうには、4月の苗栗の山々が雄大に広がっている。深い緑のグラデーションに、時折混ざる淡い白。子供たちは、お湯に浸かりながら、外に見える雲の形が何に見えるかを競い合っていた。「大きなクジラだよ!」「ううん、溶けかかったアイスクリームみたい」。大人が見過ごしてしまうような些細な風景が、彼らにとっては未知の世界へ導く冒険の地図になる。

ふと、長女が「お山はどうしてこんなに静かなの?」と、小さな声で聞いてきた。正解なんてない。ただ、親子で一緒に、深い静寂に耳を澄ませてみた。遠くで鳥が鳴き、風が木々を揺らす。その答えを探す空白の時間こそが、この旅で一番贅沢な時間だったのかもしれない。お湯から上がった後、ふかふかのガウンに包まれて、少しだけ眠そうな目で笑い合う。そんな、どのガイドブックにも載っていない、何の計画にもなかった瞬間が、一番の思い出になるという気がした。

旅を終えて、心に何が残るのだろうか?

チェックアウトの朝、外に出ると、空から白い花びらが静かに舞い降りていた。苗栗の4月を彩る桐花。肩にふわりと落ちた花びらは、驚くほど軽く、春の訪れを告げる小さな手紙のようだった。子供たちはそれを追いかけて、あちこちで転びそうになりながら笑っている。その光景を眺めながら、私はふと思った。今回の旅で、予定通りに進んだことはほとんどなかったかもしれない。

誰かが靴下を片方なくし、誰かが朝ごはんのパンをこぼし、誰かが急に理由もなく泣き出した。でも、不思議とそれは「失敗」ではなく、この旅というパズルの大切なピースだったと感じる。完璧な家族の休暇なんて、どこにもない。あるのは、不器用に、でも確かに繋がっている時間だけだ。

車に乗り込み、バックミラーで遠ざかるホテルの白い建築を見たとき、胸の奥に温かい塊が残っていることに気づいた。それは、心地よいお湯の温度であり、子供たちの笑い声であり、そして、何もかもを許容してくれた森の静けさだった。私たちはまた、日常という戦場に戻るけれど、この「心地よい乱雑さ」を思い出せば、きっと大丈夫だと思える。

白い花びらが、車のルーフに一つだけ、静かに舞い降りていた。

  • 4月下旬から5月初旬の桐花祭の時期は山道が混み合うため、早めの出発をおすすめします。
  • 旅の途中で立ち寄る「江技舊記」のワンタンは、子供たちも喜ぶ優しい味で、心もお腹も満たされます。