冷たいタイルの感触に、小さな足の指がキュッと縮こまる。それから次の瞬間、とろりとした温かいお湯が足首を包み込んだときの、あの不思議な解放感。下の子が「わあ!」と歓声を上げて飛び込んだ拍子に、辺り一面に白い飛沫が舞い上がった。立ち込める湯気で視界がぼやけ、目の前にいるはずの親の顔が、淡い水彩画のように柔らかく溶けて見えた。そんな、小さくて鮮やかな驚きから、私たちの時間は動き出したのかもしれない。
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肩にずっと乗せていた目に見えない重い荷物を、どこかに置き忘れてきたような感覚。泰安湯悅溫泉會館の森林風呂に身を浸すと、肺の奥まで澄み切った山の冷気が入り込み、それと同時に、熱いお湯がゆっくりと強張った筋肉をほどいていく。かすかに漂う硫黄の香りが鼻腔をくすぐり、遠くで名もなき鳥が心地よく鳴いている。隣では子供たちが些細なことで言い争っているけれど、その騒がしささえも、今の自分には心地よいBGMのように響く。「ああ、ただここにいていいんだ」という深い安心感が、皮膚の表面を優しくなでていった。
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山道を登る送迎バスの、低く唸るようなエンジン音。窓を少し開けると、九月の苗栗の風が入り込み、ひんやりとした空気が頬を心地よく叩く。ロビーに降り立ったとき、濡れたサンダルが床に張り付いて「ペタッ、ペタッ」と鳴る音が、静謐な空間に小さく反響していた。その不揃いなリズムがなんだか可笑しくて、ふと隣を見た上の子が、いたずらっぽく口角を上げて笑っていた。音は記憶の栞だ。この不格好な足音こそが、私たちが日常を離れ、この場所に辿り着いた確かな証拠なのだろう。
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口の中でゆっくりと溶けていく、点心の甘い砂糖の粒。指先にわずかに残ったバターの濃厚な感触。子供たちが「もっと食べたい!」と無邪気にせがむ声を聞きながら、私はただ、その甘みが喉を通っていく感覚に意識を集中させていた。それは贅沢というよりも、ただ単純に「美味しい」と感じること。その純粋な喜びこそが、今の私に一番必要だったのかもしれない。旅の記憶というのは、きっとこうした小さな味覚の断片が積み重なってできている。
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午前六時の部屋は、深い静寂を湛えた青色に染まっていた。カーテンの隙間から差し込む一筋の光が、空気中の小さな埃を照らし出し、ゆっくりとダンスを踊っている。窓の外には、まだ消え残った霧が山々を優しく抱きしめていて、世界がまだ半分だけ眠っているような心地がした。子供たちが夢の中にいる静寂の中で、一人、コーヒーから立ち上る白い湯気を眺める。その空白の時間にだけ、母親でも妻でもない、自分という人間の本来の輪郭を取り戻していくような気がした。
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水面に浮かぶ色彩の層を、静かに紙扇で掬い上げる。マーブリング体験。そこには正解なんてない。ただ水流に身を任せてできた模様が、世界に一枚だけの形になる。上の子が、色の混ざり具合をじっと見つめる真剣な横顔。完成した扇子を広げたとき、そこには予測不能な、けれど息を呑むほど美しい渦が描かれていた。「不完全であること」の心地よさ。正解を求めなくていい時間は、大人にとっても子供にとっても、何よりの贈り物だった。
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最後は、家族みんなで大きなベッドに潜り込んだ。誰が誰の足に触れているのかも分からないまま、パズルのように重なり合って横になる。子供たちの規則正しい呼吸の音が、部屋の中にゆっくりと満ちていく。さっきまでの喧騒が嘘のように、心地よい疲れが波のように押し寄せてきた。誰かが小さくあくびをした。その音が合図だったかのように、私たちは同時に深い眠りに落ちていった。ただ、温かかった。それだけで十分だと思えた。
柔らかなシーツの感触と、遠くで囁く風の音だけが残った。
- 子供と一緒にマーブリング扇作りを。正解のないアートに没頭する時間は、親子の会話を自然に増やしてくれます。
- 早朝の森林風呂へ。子供が起きる前の十五分間だけ、山々の静寂を独り占めする贅沢を味わってください。