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08:00, 苗栗駅から始まる懐古への行進

鼻の奥をかすめる空気が、しっとりと湿り気を帯びて冷たい。2月の苗栗は、街全体が淡いグレーの薄衣に包まれているかのような、静謐な朝だった。駅に降り立った瞬間から、子供たちの足取りは驚くほど軽やかで速い。上の子は「古い建物が見たい」と好奇心を燃やし、下の子はただ、新しい場所を駆け回りたいだけ。そんな賑やかな喧騒の中、路地の角にひっそりと、けれど確かな存在感を放って立つ「新興大旅社」の看板が見えたとき、私は不意に、幼い頃に聴いた古い歌を思い出したような心地になった。看板の文字はどこか古風で、効率ばかりを求める現代が忘れてしまった、ゆったりとしたリズムを刻んでいる。

チェックインを済ませて一歩足を踏み入れると、足の裏からじわりと伝わってくる磨石子の床の冷たさ。けれどそれは不快な冷えではなく、「ああ、本当にここに来たんだ」という確信に変えてくれる心地よい刺激だった。子供たちがその冷たい床にわざと足をぺたぺた地鳴らしのように付けて笑い合っている。その光景を見つめながら、私はこの場所が持つ、時代を超えた静かな包容力に、深く心を委ねたくなった。

14:00, 窓辺の光に溶ける午後のまどろみ

街を歩き回った後の心地よい疲労感は、身体の隅々に重い澱のように溜まっていく。部屋に戻った瞬間、上の子が弾かれたようにベッドへダイブし、下の子はそのまま床に転がった。この部屋には、最近のホテルが競い合っているような、計算された華やかさや贅沢な設備はない。けれど、窓をそっと開ければ、外の空気が嘘偽りなく、素直に流れ込んでくる。密閉された空間ではない、呼吸ができる場所。その開放感が、旅先で無意識に張り詰めていた緊張を、ゆっくりと、丁寧に解きほぐしてくれる。

シーツの質感はパリッとしていて、清潔な石鹸の香りがかすかに漂い、冬の淡い陽光が部屋の隅々まで黄金色の粒子を散らしている。子供たちが規則正しい寝息を立て始めるまで、どれほどの時間が過ぎたのだろう。ふと天井の隅に目をやると、燕が丁寧に巣を作っていた。目を覚ました下の子が、小さな声で燕に内緒話をしている。その光景を眺めながら、私は思った。完璧な旅のプランを立ててきた自分よりも、この偶然に訪れた静寂の方が、ずっと価値があるのではないか。不便さというものは、実は人生における「贅沢な空白」のことなのかもしれない。

19:00, 湯気と笑い声に包まれる帰り道

夕食に訪れた「江技旧記」では、テーブルいっぱいに熱々のワンタンと肉圓が並んだ。立ち上る白い湯気が、冷え切った指先をじんわりと温め、食欲を激しく刺激する。肉圓のタレに混ざった筍のほのかな甘みが、口の中でゆっくりとほどけて広がった。子供たちは口の周りをタレだらけにして、「おいしい!」と歓声を上げている。そんな賑やかな時間を経て、再び新興大旅社に戻ったとき、中庭の開放感にふと心が軽くなった。1950年代の設計がそのまま残るその空間は、夜空を切り取った一枚の額縁のようだ。

夜の帳が降り、冷たい夜風が吹き抜けるけれど、建物の中に蓄えられた温もりが、それを心地よいコントラストに変えていた。ロビーではオーナーの羅さんが、かつてここを訪れた世界中の旅人たちの物語を、静かに、慈しむように聞かせてくれる。国籍も時代も違う人々が、同じこの床を踏みしめ、同じ空を見上げた。そう思うと、私たちの家族という小さなチームも、この場所が紡いできた壮大な物語の、ほんの一ページに加わったような気がして、言いようのない充足感に包まれた。

22:00, 鉄の階段が刻む静寂の独白

子供たちが深い眠りに落ち、部屋に本当の静寂が訪れる。私は一人、忍び足で廊下に出てみた。深夜の旅社は、昼間とは全く違う顔をしている。鉄製の階段を一段登るたびに、小さく、けれど確かな金属音が夜の静寂に響く。その音は、誰かがずっとここで時間を積み重ね、生活を営んできた証のように聞こえた。豪華な絨毯で音を消し去るのではなく、ありのままの音をそのままにさせておく。それこそが、この場所が持つ誠実さなのだろう。

ふと、自分の人生においても、何かを隠したり消したりすることより、不完全なままにしておく勇気が必要だったのではないか、という考えがよぎった。冬の夜の冷気が肌を刺すが、部屋に戻れば、そこには家族の確かな温もりが待っている。布団に入り、隣で丸くなって眠る子供たちの体温を感じながら、私はゆっくりと目を閉じた。ここは、何者かになろうとしなくていい場所だ。ただの父親として、ただの母親として、あるいはただの旅人として、そこにいていい。そう許された心地よさが、私を深い眠りへと誘っていく。

窓の外で、冬の夜風が静かに建物を撫でて通り過ぎていった。

  • 苗栗駅から徒歩圏内なので、小さなお子様連れでも移動のストレスなく、ゆっくりと街の空気に慣れることができます。
  • 近くの「江技旧記」で伝統的なワンタンを味わい、お腹を満たした後に旅社の静かな中庭で一息つくルートがおすすめです。