← 回到 稻佐山觀光飯店

パジャマのままで、街の灯りを数えていた夜

なぜ、この光の海へ家族を連れてきたのか?

タクシーの座席が、山道を登るたびに小さく震えていた。窓の外は次第に深い藍色に染まり、車内には「どっちが先に街の明かりを見つけるか」という、子供たちだけの切実な競争の声が響いている。3月の長崎の夜気は、まだ肌を刺すように冷たく、窓ガラスに触れた指先がひやりと凍りついた。上の子は5分に一度「もう着いた?」とせがみ、下の子は座席で半分眠りながらも、外に光が見えた瞬間にだけ鋭い反応を見せる。そんな、いつもの兵慌てな空気のまま、私たちは稲佐山観光ホテルに辿り着いた。

曙館ツインルームハーバービューに足を踏み入れた瞬間、私の意識を占めたのは、32平米という空間に家族4人がどう収まるかという、某種のパズルを解くような心地よい緊張感だった。足裏に触れるカーペットの厚みが、子供たちが走り回る足音を静かに、そして深く吸い込んでいく。その感覚が、旅の疲れで張り詰めていた心をふわりと緩めてくれた。外はしんと静まり返っているのに、部屋の中だけは弾けるような賑やかさに満ちている。その鮮やかなコントラストが、私たちを「家族という小さなチーム」として心地よく閉じ込めてくれた気がした。上の子が窓辺に張り付き、眼下に広がる宝石を散りばめたような光の海に歓声を上げる。私はその横で、脱ぎ散らかされた靴下を拾いながら、ふと思った。誰にも邪魔されないこの高い場所で、ただ一緒に騒ぎ、笑い合う。それこそが、何よりの贅沢なのではないか、と。部屋を満たす空気は、夜景の光を映して、とても柔らかく、温かかった。

子供たちが一番心を奪われたのは、どの瞬間だったか?

それは、翌朝のバイキング会場で繰り広げられた、小さな食の冒険だったかもしれない。プレートの上に、長崎らしい甘い香りの料理や色鮮やかなフルーツを、まるで芸術作品のように高く積み上げていく下の子の横顔は、至極真剣だ。隣では上の子が「これは大人の味かな」と、見たこともない食材を慎重に口に運んでは、不思議そうな顔をして眉をひそめている。その様子がなんだか可笑しくて、私は口元を緩めた。

「お腹いっぱい!でも、あと一口だけ食べたい!」

そんな子供特有の矛盾した欲求が飛び交う中、私は立ち上る温かい味噌汁の湯気の向こうで、彼らの小さな言い争いを眺めていた。お椀から伝わるじんわりとした熱が、指先から体中へと広がっていく。普段の生活なら「静かにしなさい」と嗜めるところだが、ここではその騒がしささえも、心地よいBGMのように風景に溶け込んでいた。山の上という非日常的な空間が、親である私の心に、心地よい寛容さを広げてくれたのかもしれない。豪華な設備や絶景よりも、あのお皿の上に築かれた「食べ物の山」こそが、彼らにとっての最高の発見であり、誇らしげな戦利品だったのだ。誰が予想できただろうか。旅のハイライトが、そんなささやかな食卓の風景になるなんて。

旅が終わって、ふと思い出すのはどんな景色か?

おそらく、大浴場から眺めた、あの境界線のない夜景だろう。肩まで浸かったお湯の心地よい温度に身を任せ、ふと顔を上げたときに見えた、街の灯火の集まり。それは誰かが大切に灯した生活の光であり、遠くから見ればただの光の粒に過ぎないけれど、そこには数えきれないほどの物語が詰まっている。隣では子供たちが水しぶきを上げて、誰が一番長く潜っていられるかを競い合っていた。弾ける水の音と、子供たちの笑い声が湯気に混ざり合い、心地よく耳をくすぐる。

その後、部屋に戻ってパジャマの柔らかな感触に包まれながら、腕の中で規則正しく呼吸を始めた子供たちの体温を感じた。世界的に有名な夜景という称号がついているけれど、私にとってのあの景色は、ただ「家族が一緒にそこにいた」という確かな証明書のようなものだった。完璧なスケジュールなんてなかったし、途中で些細な喧嘩もした。けれど、あの夜の静寂と、子供たちの寝息が混ざり合った周波数は、きっとずっと心に残る。何かが満たされたというよりは、ただ「これでいいんだ」と思えた、そんな深い充足感だった。

窓ガラスに残った小さな手形が、街の灯りを反射してキラキラと輝いていた。

  • 3月の夜風は冷たいため、屋上テラスへ向かう際は、お子様用に厚手のカーディガンをご用意ください。
  • 朝食バイキングでは地元の旬の味を。お子様と一緒に「次は何を盛り付けるか」を相談して楽しんで。