← 回到 那須艾比納爾飯店

小さな手のひらが、コートのポケットの中で温かかった

指先がじんわりと冷たい。吐き出した息が白く濁り、目の前でゆっくりと形を失っていく。一月の那須高原は、空気が研ぎ澄まされていて、肺の奥まで冷たい針で刺されるような感覚がある。でも、コートのポケットの中で握りしめた子供の手は、驚くほど熱かった。その小さな温度だけが、今の自分にとって唯一の確かな座標であるという気がした。

なぜ、冬の静寂に包まれたこの場所へ家族を連れてきたのか

エレベーターの扉が開いた瞬間、外の凍てつく空気とは異なる、柔らかな温もりが肌を包み込む。ホテルエピナール那須の「ベビー&キッズルーム」に足を踏み入れると、そこには親としての緊張を解いてくれる、ある種の「許し」が満ちていた。足裏に心地よく沈み込む厚手の絨毯が、子供たちが弾むように走り回る足音を優しく吸収していく。ここでは、不意に上がる歓声も、小さな転倒も、すべてが冬の陽だまりのような風景の一部だ。「静かにしなさい」という、親が無意識に張り詰めていた心の表面張力が、ふっと緩んでいくのがわかる。

部屋に入ると、視界に飛び込んできたのは低い位置に設えられたベッドだった。大人が腰を下ろすと、ちょうど子供たちの視線と同じ高さになる。その距離感がたまらなく心地よい。大人が子供に合わせて膝をつくのではなく、最初から同じ地平に立っているような感覚。パリッとしたリネンの清潔な香りと、冬の朝にだけ感じる独特のひんやりした空気。ここでは、完璧な親である必要はないのかもしれない。ただ、一緒に低い場所で転がっていればいい。そんな空間の設計が、日々の喧騒で凝り固まった心をゆっくりと解きほぐしていく。

子供が一番心を動かされたのは、どの瞬間だったのか

屋内プールの水面は、吸い込まれるような深い瑠璃色をしていた。外の白銀の世界とは対照的な、凝縮された熱量。子供は水に触れた瞬間、「わあ、あったかい!」と弾んだ声を上げ、まるで未知の惑星に降り立ったかのように目を輝かせていた。水の中では重力が心地よく消え、言葉よりも先に、弾ける笑い声が銀色の泡となって昇っていく。その光景を見ていると、幼い日の記憶とは、きっとこうした流動的な色彩と温度の集積なのだろうと感じずにはいられない。

ふと、頼れる親を演じようとして、プールサイドで派手に足をもつれさせ、自分のゴーグルを踏んで盛大にバランスを崩した。一瞬の静寂の後、「あはは!パパ(ママ)がおかしいよ!」という爆笑がプールの壁に反響し、心地よいリズムとなって降り注ぐ。優雅な家族旅行という計画は、最初からどこかズレていたのかもしれない。けれど、塩素の匂いと温かい湿気が肌にまとわりつくこの不格好な時間こそが、何よりも贅沢な宝物のように思えた。水しぶきが頬にかかり、笑い転げる子供の体温が伝わってくる。その瞬間、私たちは役割を脱ぎ捨てて、ただ一緒に笑い合うだけの「個」に戻れた気がした。

旅路の果てに、心に深く刻まれたものは何か

翌朝、窓の外に広がる那須連山は、淡いグレーと白の繊細なグラデーションに染まっていた。結露したガラスに指でなぞった線から、冬の澄んだ世界が鮮明に覗く。バイキング会場で味わった那須産の濃厚な卵料理は、舌の上でコク深く広がり、冷えた身体を内側からじんわりと温めてくれた。お味噌汁の白い湯気が眼鏡を曇らせ、視界が真っ白に塗りつぶされる。そのもどかしささえ、今は愛おしい。

この旅の間、私たちは一つの「チーム」として作戦を立て、時に衝突し、時に妥協し合った。子供のわがままに振り回され、予定していた観光地の半分も回れなかったけれど、それでいいという気がする。空白があるからこそ、そこに新しい記憶を書き込める。完璧なスケジュール表よりも、子供が不意に口にした「またここに来たいね」という言葉の方が、ずっと重く、温かく、私の心に深く沈み込んだ。失った時間やできなかったことを数えるのではなく、一緒に笑った回数や、共有した温度を数えて帰る。それはきっと、人生という長い旅の中で、最も必要な「持ち物」になるはずだ。

チェックアウトの際、子供がロビーの床に落ちていた小さな石を拾い、大切そうにポケットにしまった。

  • 朝食バイキングでは、ぜひ那須産の新鮮な卵料理を。濃厚な味わいが、冬の冷えた体に染み渡ります。
  • ベビー&キッズルームの低床ベッドでは、スマートフォンの電源を切り、子供と同じ目線で心ゆくまで転がってください。