那須塩原駅から送迎バスに揺られているとき、車窓のガラスが白く曇り始めた。老二が小さな指でその結露をなぞり、「ここに秘密の地図を描くんだ」と、くすくすと笑いながら囁く。指先が滑るたびに、外の景色が断片的に現れては消える。2月の那須は、空気が鋭く、吸い込むたびに肺の奥がちりりと鳴るような凍てつく寒さだった。しかし、那須いちやホテルに足を踏み入れた瞬間、外の冷気が嘘のように剥がれ落ち、柔らかな温もりに包まれる。それは、凍えていた身体がゆっくりと溶け出していく、熱い紅茶に砂糖がしっとりと馴染んでいくような心地よい感覚だった。
なぜ、冬の静寂に包まれたこの場所へ家族を誘ったのか
家族というものは、時として互いにぶつかり合う水滴のようなものだと思う。近くに寄り添いすぎると波が立ち、離れすぎると孤独な滴になる。けれど、ここではその距離感が心地よく調整される気がした。チェックインしてまず、浴衣を選ぶ時間。老大は一番派手な柄を頑なに選び、老二は袖が長すぎて手が隠れている。そんな不格好な姿で廊下を歩いていると、畳のい草の香りが鼻をくすぐり、裸足で踏みしめる床の温度が、身体の緊張をゆっくりと解いていく。和モダンベッドが配された部屋に身を沈めると、日常で張り詰めていた肩の力が、表面張力を失った水滴のように、ふっと消えていくのがわかった。完璧な家族である必要なんてない。ただ、同じ温度の空間に一緒にいればいい。そんな静かな肯定感が、この空間には流れていた。誰かが不機嫌になっても、誰かが転んでも、それがこの旅の正しいリズムなのだと思わせてくれる。そんな「器」のような場所だったから、ここに来たのかもしれない。
子供たちの瞳を一番輝かせたのは、どんな魔法だったか
それは、2階のキッチンギャラリー・ヨッテコで開催されていた「つまみ食いパーティー」だったと思う。食前のアミューズを少しずつ味わうという、子供にとっても大人にとっても贅沢な時間。老二は、目の前でシェフが野菜を切る「トントン」という規則正しいリズムに完全に釘付けになっていた。その音はまるで心地よい打楽器のようで、空間に期待感を添えている。差し出された瑞々しい生の人参を一口かじった瞬間、老二の目が大きく見開かれた。「人参がお菓子みたいに甘い!」という歓声が、温かな空間に響き渡る。大人が「素材が良いから健康的だね」と納得している横で、子供たちは純粋に「美味しい」という衝撃に身を任せていた。夜のスイーツ実演では、パティシエが魔法のように白いクリームを操る様子を、食い入るように見つめていた。指先に少しついたクリームを、お互いに見せ合って笑い合う。そんな、なんてことのない、けれど純度の高い喜び。翌朝のビュッフェで、那須御用卵を使った卵かけご飯を三杯も平らげた老二の、黄金色に輝く満足げな顔。彼らにとっての旅とは、有名な観光地を巡ることではなく、こうした「初めて出会う味」や「不思議な音」の集積なのだと気づかされた。大人が計画したスケジュールよりも、ふとした瞬間に見つけた小さな発見こそが、彼らにとってのメインディッシュだったのだろう。
旅路の果てに、心に深く刻まれる景色とは何か
おそらく、屋上の貸切露天風呂「ナスヤマ」で見た、あの境界線の記憶だろう。湯船に浸かり、顔だけを冷たい外気にさらしたとき、視界に飛び込んできたのは関東平野まで見渡せる圧倒的なパノラマだった。肌を刺すような冬の風と、身体を芯から温める熱い湯。その激しい温度差の間に身を置いていると、自分が世界の一部に溶け込んでいくような感覚になる。水面に映る朝日が、ゆっくりと濃いオレンジ色に染まっていく。隣で「お湯がぷくぷくしてる」と呟く子供の声。その声さえも、立ち上る白い湯気の中に吸い込まれ、心地よい静寂へと変わっていく。私たちは、何かを解決するために旅に出るのではない。ただ、今の自分たちがここにいていいのだということを、身体感覚として確認しに来るのだ。那須連山の稜線が、冬の澄んだ空にくっきりと描かれていた。その静かな景色を共有したという事実だけが、日常に戻った後も、心の底に沈殿して、時折ふわりと浮かび上がってくるはずだ。正解のない問いを抱えたままでも、この温もりがあれば、明日からまた歩き出せる。そんな気がした。
湯気の中で、子供の手を握りしめたときの、あの小さくて温かい感触だけを覚えている。
- 徒歩圏内の南が丘牧場へ寄り道して、冬の澄んだ空気の中で動物たちの息づかいを感じてみるのがおすすめ。
- 朝食の那須御用卵は、ぜひシンプルに卵かけご飯で。素材の濃い味わいが、目覚めたばかりの身体に染み渡る。