← 戻る ホテルニューアカオ ホライゾン・ウイング

靴の底に小さな砂が入り込んでいた

靴の底に小さな砂が入り込んでいた

「誰が一番役に立たない旅になるか」という賭け

「ねえ、見てよこれ。4月の熱海にわざわざ厚手のダウン持ってきたやつ、誰?」

誰かが指差したのは、ベッドの上に無造作に放り出された、季節外れの大きなジャケットだった。私たちは顔を見合わせ、同時に吹き出した。今回の旅のルールは簡単だ。誰が一番「不要なもの」を持ってきて、誰が一番「的外れな判断」をするか。ある種の生存戦略のような、くだらない賭けである。

「いや、山の方は寒いって聞いたし!結果的に正解だったかもしれないし!」

「無理があるでしょ。ここ、海だよ?しかも今の気温、完全に春。そのダウン、もはやただの重い荷物じゃん」

「うるさいなあ。あなたこそ、旅のしおりを完璧に作っておいて、駅に着いた瞬間にスマホの充電切らしたよね。あれこそ最高に役に立たない判断だったと思うけど」

互いの失敗を肴に、私たちは部屋の中で転げ回った。誰かが持ってきた、使い道が全く分からない便利グッズを次々と披露し、それを全力でツッコミし合う。潮風の香りが混じる笑い声だけが、心地よく部屋の空気を震わせていた。

視界を塗りつぶす青と、重いカーテンの記憶

ホテルニューアカオ ホライゾン・ウイングの客室に足を踏み入れたとき、まず耳に届いたのは、自分の足音が厚いカーペットに吸い込まれて消えていく、奇妙な静寂だった。ホライゾン・ウイング客室のゆとりある空間は、友人三人で過ごすには十分すぎるほど広く、それゆえに私たちが発する笑い声が壁にぶつかって、少しだけ遅れて戻ってくる。そのわずかなタイムラグが、ここが日常から切り離された特設ステージであるかのような錯覚を抱かせた。

窓際に歩み寄ると、そこには境界線のない青が広がっていた。4月の海は、まだ冷たさを孕んでいるせいか、深いインクを流し込んだような濃い色をしている。そのオーシャンビューがあまりに強烈で、部屋の中まで青く染まっていくような気がした。ふと、指先でカーテンの端に触れる。分厚い生地は、かつての豪華さの名残を留めていて、ずしりと重い。その質感は、どこか古い劇場の緞帳を思い出させた。時代に取り残されたわけではなく、あえて時間を止めて、訪れる人を待っていた場所。そんな昭和レトロな情緒に包まれ、私はわざとゆっくりとカーテンを閉めてみた。

裸足で歩くと、床の温度がじわりと足裏に伝わる。バスルームへ向かうまでの数歩が、心地よいリズムを刻む。タイルのひんやりとした感触が、高ぶった気分を静かに落ち着かせてくれた。洗面台の鏡に映る自分は、いつもの自分よりも少しだけ輪郭がぼやけて見える。それはきっと、この空間が持つ独特の湿度と、外から流れ込んでくる潮風のせいだろう。もともと、完璧な場所なんて必要なかった。少しだけ古びていて、それでいて誰かに大切にされていたことがわかる、そんな手触りのある空間こそが、今の私たちには必要だったのだと感じる。

午後3時の光が、部屋の隅にある小さな埃を金色に光らせていた。その光の粒を眺めているだけで、胸の奥にある、名前のつかない焦燥感が、ゆっくりと溶けていくのがわかった。何かを成し遂げなければならないという強迫観念から解放され、ただ「ここにいる」ということだけに集中できる時間。それは、贅沢というよりも、生存に必要な空白のようなものだったのかもしれない。

深夜2時の、答えのない相談会

「……正直、新生活とかいう言葉、重すぎない?」

部屋の明かりを落とし、間接照明だけの薄暗い空間で、誰かがぽつりと漏らした。昼間の賑やかさはどこへ行ったのか。今はただ、遠くで鳴っている波の音と、コンビニで買ったスナック菓子の袋を破る乾いた音だけが響いている。私たちは、ベッドに身を寄せ合い、天井の模様をぼんやりと眺めていた。

「わかる。新しい環境、新しい人間関係。全部『正解』な感じで振る舞わなきゃいけない気がして、ちょっと息苦しいよね」

「ねえ、もし全部失敗したらどうする?」

「どうしようか。まあ、最悪、またここに集まって、誰が一番人生を間違えたか賭け合えばいいんじゃない?」

その言葉に、小さな笑いが起きた。誰かが私の肩に頭を乗せ、深くため息をつく。そのため息には、期待よりも不安の方がずっと多く含まれていたけれど、それを無理に励ます必要はないと感じた。不安というのは、取り除くべき汚れではなく、私たちが生まれ持った一部なのだ。それを抱えたまま、どうやって心地よく歩くか。角度を少しだけ変えて、景色を眺めてみる。ただそれだけでいい。

「まあ、とりあえず明日の朝ごはんは、全部盛りで注文しよう。それが今の私たちの最優先事項だし」

「賛成。ダイエットなんて、新生活が始まってから考えればいいよ」

私たちは、互いの不安を解消することではなく、ただ共有することを選んだ。答えが出ない問いを、そのままにしておく贅沢。深夜の静寂と琥珀色の灯りが、私たちの不完全さを優しく包み込んでくれていた。

窓の外では、夜の海が静かに呼吸を続けていた。

  • 缶詰BAR「缶蔵」で、昭和な雰囲気に浸りながら、あえて一番見たことのない缶詰に挑戦してみて。
  • 早朝のホライゾン・ウイングのバルコニーで、海の色が白から青に変わる瞬間を、何も話さずに眺めてほしい。