子供のパジャマのボタンが一つ取れていて、それをセロハンテープで留めようとしたときの、あの「ピリピリ」という乾いた音。静まり返った部屋にその音だけが鋭く響き、私たちはふと顔を見合わせて、なんだか可笑しくなった。「もう、準備万端だと思ったのに」と苦笑いする私の心に、小さな諦めと心地よい脱力感が広がっていく。旅の始まりは、いつもそんな些細な綻びから始まるものだ。忘れ物は多く、予定はすでに崩れかけている。けれど、それでいい。むしろ、その隙間があるからこそ、旅は深く呼吸を始めるのかもしれない。
完璧な計画を脱ぎ捨てて、家族の素顔に戻れる場所があるとしたら?
リゾーピア別府のロビーに足を踏み入れた瞬間、まず肌を包み込んだのは、外の凍てつくような二月の冷気とは正反対の、しっとりと濃厚な温かさだった。冬の別府特有の、わずかに硫黄が混じった懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。子供たちが興奮して走り出したとき、その賑やかな足音が厚いカーペットに吸い込まれ、柔らかな静寂に変わっていく。その感覚が、張り詰めていた私の心をゆっくりと解きほぐしてくれた。
家族で旅をすると、どうしても「正解」を探してしまう。子供が機嫌よく過ごしているか、予定通りに動けているか。けれど、この空間に身を置いていると、そんな強迫観念が温かいお湯に溶け出す塩のように、ゆっくりと消えていく。深夜、廊下を歩くときに聞こえるかすかな生活音や、エレベーターのボタンを押す指先に伝わるわずかな振動。そういう名もなき日常の断片が、ここでは不思議と深い安心感に変わる。誰かに合わせるのではなく、ただそこにいるだけでいい。そんな、緩やかで贅沢な時間がここには流れていた。
湯煙の向こう側で、子供たちが心躍らせた「小さな冒険」とは?
別府の街を歩いていると、至る所から白い煙が天に向かって立ち上っている。下の子が「見て!街が呼吸してるよ!」と叫んだとき、私はふと空を見上げた。冬の低い太陽の光が、その白い湯煙を通り抜けて、プリズムのように淡い色に分かれていた。光が屈折し、世界が少しだけぼやけて見える。その視界の曖昧さが、かえって心地よく、日常の鋭い角を丸く削ってくれるように感じられた。
Risopia Beppuで過ごした時間の中で、子供が一番気に入っていたのは、温泉での「冒険」だった。お湯に浸かった瞬間、「あついっ!」と飛び上がりながらも、またすぐに潜り込もうとする。熱いお湯が肌に触れ、強張っていた肩の力が抜けていく快感。そのとき、子供の瞳に映っていたのは、湯気で白く霞んだ天井と、そこから漏れる柔らかな光の粒だった。水面に広がる波紋が、子供たちの笑い声に合わせて小さく踊っている。
レストランで出された、地元で蒸し上げたトウモロコシの甘い匂い。口に入れた瞬間に広がる、素朴で濃い味わいは、どんな洗練された料理よりも深く心に刻まれた。子供が口の周りを黄色くしながら、満足げに笑っていたあの瞬間。計算されていない、不格好で純粋な時間こそが、旅の本当の価値なのだろう。私たちはただ、その小さな幸せを、宝物のように一緒に眺めていた。
旅路の果てに、心に深く刻まれたのはどんな景色だったか?
旅の終わりが近づくと、人は急に寂しさを覚えるものだ。けれど、リゾーピア別府を後にするとき、私たちの心にあったのは、静かな充足感だった。二月の別府はまだ厳しい寒さの中にあるが、道端に咲き始めた梅の花が、淡いピンク色の光を放っていた。梅まつりの賑わいの中で、子供たちが小さな手でぎゅっと握りしめていたのは、どこかで拾った不思議な形の小石か、あるいは誰かがくれた小さなお菓子だったのかもしれない。
振り返ってみれば、予定していた観光地の半分も回れなかった。けれど、ホテルの部屋で一緒に転がって笑い転げたことや、お風呂上がりに冷たい空気を吸い込んだときの、あの鼻の奥がツンとする鮮烈な感覚。そういう、名付けようのない断片的な記憶だけが、色鮮やかに焼き付いている。欠けている部分があるからこそ、そこに新しい思い出が入り込む余地がある。完璧な旅よりも、少しだけ不自由で、たくさん迷って、それでも最後には「また来たいね」と言い合える。そんな旅の形が、今の私たちにはちょうどよかった。冬の冷たい風に吹かれながら、私たちは次の約束を静かに交わした。
湯煙に包まれて、家族の輪郭が少しだけ柔らかくなった気がした。
- 二月の別府は冷え込むため、子供には重ね着を。湯煙の中を歩く際は、足元の冷えに十分ご注意ください。
- 梅まつりの時期に合わせた早朝の散歩がおすすめ。静寂に包まれた淡いピンク色の景色は、心に深く残ります。