← 戻る 別府温泉 天空湯房 清海荘

指先に残った、夜の海の青色

真夜中の空腹は、誰のせいだったか

三月の別府の夜風は、まだ冬のしっぽを掴んでいるように冷たく、鼻の奥に街のいたるところから立ち昇る硫黄の香りがかすかに混じる。別府温泉 天空湯房 清海荘のロビーを抜けて外に出たとき、誰かが「お腹空いた」と小さく呟いた。それが合図だった。コンビニの自動ドアが開いた瞬間の、刺すような人工的な白い光に、闇に慣れていた目が一瞬だけ拒絶反応を起こす。カゴに放り込んだ唐揚げと海苔巻き、そして誰かが勝手に加えた不思議な味のグミ。レジ袋が擦れるガサガサという音が、静まり返った夜道に不自然に響き、心地よい緊張感となって肌を撫でた。明日への期待と、深夜の背徳感が混ざり合う、旅の夜ならではの特別な時間だった。

畳の上で、本音をかじる

「ねえ、さっきの地獄めぐりの時、あいつが道間違えたせいで三十分もロスしたの、今思い出しても笑えるんだけど」

半露天風呂付和洋室の抗菌畳の上に、コンビニの袋を適当に広げる。私たちは浴衣の裾を気にすることもなく、大の字になって寝転んでいた。別府温泉 天空湯房 清海荘の部屋は、想像以上に広々としていて、私たちの笑い声が天井に跳ね返り、心地よい残響となって戻ってくる。

「ちょっと!あれは看板が分かりにくかっただけだって。っていうか、あんたこそ写真撮るのに夢中で、後ろから車が来てたのに気づかなかったでしょ。マジで危なっかしいんだから」

「あはは、まあね。でも、あの時の光の当たり方は完璧だったし。見てよ、この写真。空の色が、現実じゃないみたいに深い青でしょ」

「ふーん。まあ、認めるよ。いい写真だね」

唐揚げを口に運ぶ。じゅわっと溢れる油の味が、深夜の胃袋にじんわりと染み渡る。昼間に食べた豪華な会席料理よりも、この安っぽい味が、今の私たちにはちょうどいい。話題は、いつの間にか最近の悩み事や、誰にも言っていない小さな不安へと移っていた。昼間の観光中には、きっと出せなかった言葉たち。誰かが「実はさ」と切り出したとき、部屋の空気がふっと柔らかくなった気がする。私たちは互いの弱点をさらけ出しては、それを軽い冗談で包み隠す。そういう、不器用なやり取りこそが、私たちにとっての「信頼」というものなのかもしれない。

「っていうか、私たち、明日ちゃんと起きれるかな」

「無理でしょ。誰か一人、絶対寝坊するって賭ける?」

「いいよ、乗った。負けた方が明日のコンビニ代全部出すこと」

そんなくだらない賭けに本気で盛り上がり、誰かが笑い転げて畳を叩いた。その拍子に、飲みかけのペットボトルが小さく揺れ、心地よいリズムを刻んでいた。

満たされた胃袋と、深い青の静寂

食事の残骸が片付けられ、部屋に再び静寂が戻ってきた。でも、それは寂しい静けさではなく、心地よい密度を持った沈黙だった。消し忘れた間接照明の淡い光が、部屋の隅で静かに屈折している。窓の外に広がる別府湾の深い青色が、暗闇に溶け込みながらも、私たちの網膜に薄い残像として焼き付いていた。

ふと、手のひらで畳の感触を確かめる。抗菌畳の、少しだけさらりとした、けれど温かみのある質感。指先がその表面をなぞるたびに、今日一日の出来事が、ゆっくりと整理されていく。誰とどこへ行き、何を話し、どんな顔で笑ったか。それらはすべて、この部屋の静寂の中に溶け込み、心地よい重みとなって体に馴染んでいく。

もしかしたら、旅の本当の目的は、有名な観光地を巡ることではなく、こういう、何の意味もない深夜の時間を共有することだったのかもしれない。何かを解決したり、答えを出したりする必要はない。ただ、隣に誰かがいて、同じ温度の空気を吸っている。それだけで十分だという気がする。遠くで聞こえる波の音と、誰かの規則正しい寝息だけが、部屋の隙間を優しく埋めていた。

指先に残った畳の感触と、深夜の青い静寂だけは、きっと消えない。

  • コンビニのホットスナックと地元の銘菓を組み合わせて楽しむ贅沢な夜食
  • 氷を多めに買い込み、グラスの中でカランと鳴らす贅沢な時間