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お椀の中の月が、少しだけ傾いていた

お椀の中の月が、少しだけ傾いていた

次男の冷たい足指が、畳の目を丁寧になぞっている。指先に伝わるのは、ザラザラとした乾いた植物の感触と、かすかに漂うい草の清々しい香り。貸切露天風呂に浸かったとき、水面に映った完璧な満月をすくい上げようとして、小さな手が触れた瞬間、静寂だった円は不規則な波紋となって広がっていった。「月が逃げた!」と叫ぶ声とともに、温かい水しぶきが頬にかかる。その飛沫の温度が心地よくて、私たちはただ笑っていた。正解のない遊びに没頭する子供の横顔は、日常を忘れた遠い国の住人のように見えた。



肩まで深く浸かったとき、身体の境界線がゆっくりと溶け出していく感覚がある。表面張力に身を任せ、意識だけを深く、深く沈めていく。由布院 梅園 GARDEN RESORTの湯は、肌に吸い付くような密やかな重さと滑らかさを持っていて、それが心地よい。日中の「お父さん」「お母さん」という役割の皮を、お湯が静かに、丁寧に剥ぎ取っていく。ただの個体に戻り、液体の一部になる。そんな贅沢な錯覚に浸っていると、ふと、自分の呼吸の音が水の中で大きく響くことに気づく。静寂にも、確かな質感があるのだと教えられた瞬間だった。


風がススキの穂を揺らす、サラサラという乾いた音。それは耳の奥に溜まった都会のノイズを、丁寧に洗い流してくれる天然のフィルターのような響きだった。廊下を走る子供たちの足音が、板張りの床に反響して、軽快なリズムを刻んでいる。長男が「あっちに何かいる!」と主張して走り出し、それに続いて次男が歓声を上げて追いかける。その騒がしさが、不思議と心地よいBGMのように聞こえた。静まり返った空間よりも、誰かの気配が絶えず流れているこの場所が、今の私たちにはちょうどよかったのかもしれない。


夕食に出された地元の山菜から、かすかな土と雨の匂いがした。口に運ぶと、じわりと温かい出汁が舌の上でほどけ、胃の底までゆっくりと熱が浸透していく。湯気が鼻先をくすぐり、心まで解きほぐされる。次男が「これ、森の味がする」と呟いたとき、私たちはみんな、同じ深い緑の風景を味覚で感じていた気がする。豪華な料理というよりも、その土地の呼吸をそのまま飲み込んでいるような、誠実で滋味深い味わいだった。最後の一口に感じたかすかな苦味が、旅の記憶を鮮明に固定してくれた。


由布岳の稜線が、深い群青色の夜に溶け込んでいく。マジックアワーの光が、庭園の木々の隙間から液体のように流れ込み、和洋室の隅々まで黄金色に満たしていく。光と影の境界線が曖昧になり、世界がひとつの色に染まる時間。私たちは言葉を失い、ただ窓の外を眺めていた。何時間もそこにいた気がしたが、時計の針はほんの少ししか進んでいなかった。時間は一定の速度で流れているはずなのに、ここでは時折、流れが心地よく滞る場所があるように感じられる。


子供に貸した浴衣が、あまりにもぶかぶかだった。帯をきつく締めても、裾が何度も足に絡まり、歩くたびに小さな足が白い布に飲み込まれている。その不格好さが、たまらなく愛おしく見えた。綿の生地が肌に触れる、少し硬くて、でも安心感のある素朴な感触。次男が浴衣をマントのように翻して廊下を駆け抜けるとき、それはもはや衣服ではなく、未知なる世界へ挑むための装備品になっていた。完璧にフィットしない服を着ているときだけ、人は本当の意味で自由になれるのかもしれない。


全員が寝静まった後の、静かな呼吸の重なり。布団の温もりの中で、三つの小さな、あるいは大きな呼吸がゆっくりと同期していく。誰かが寝返りを打つたびに、布団が擦れるカサカサという音が心地よいリズムを作る。明日になればまた、誰かが泣き、誰かがわがままを言い、私たちはそれに振り回される日常に戻るだろう。けれど、この瞬間の静寂だけは、誰にも邪魔されない私たちだけの領土だった。欠けているところがあるからこそ、ぴったりとはまるパズルのピースのように、私たちはここで深く繋がっていた。

お椀の中に残った月が、静かに揺れていた。

  • 子供と一緒に、庭園の隅にある名もなき小さな花や石を探す「宝探し散歩」がおすすめです。
  • 貸切風呂は、あえて早朝の澄んだ空気の中で利用して、由布岳の目覚めを眺めてみてください。