← 戻る レックスホテル 別府

畳の上に散らばった、小さな靴下たちの距離

湯気の向こうに溶ける、冬の別府の目覚め

指先に触れる空気は、まだ氷のように冷たく、肌を刺す。午前七時、レックスホテル 別府の客室で目を覚ますと、窓の外には冬の別府湾が鈍色の鏡のように静まり返って広がっていた。部屋の中では、本格的なドリップコーヒーマシンが低く唸りを上げ、香ばしく深い焙煎の匂いが、眠りの中にある意識をゆっくりと塗り替えていく。そんな静寂を心地よく破るのは、いつだって子供たちの不揃いな足音だ。私は、彼らが完全に目を覚ますまでの「時間差」を静かに待つ。靴を履くときのように、意識が覚醒するまでには心地よいラグがある。そのもどかしくも愛おしい空白こそが、家族旅行というものの正体なのかもしれない。

朝食会場に足を踏み入れると、そこには大分地方の郷土料理が色鮮やかに並んでいた。特に、ふっくらと炊き上がった鰻の香ばしい香りが鼻をくすぐり、食欲を激しく刺激する。老二は「これ、お魚の味がする!」と目を輝かせて大はしゃぎし、老大は「大人の味だね」と少し得意げに、それでいて一口ずつ大切に味わっている。私は温かいお茶を啜り、立ち上る白い湯気の向こう側で繰り広げられる彼らのやり取りを、ただ静かに眺めていた。完璧なスケジュールなんて、最初から期待していなかった。ただ、この温かな食事と、まだ少し眠そうな顔をした子供たちが同じテーブルを囲んでいる。その事実だけで、胸の奥にじんわりと小さな灯がともる。外の凍てつく寒さと、室内の柔らかな温度差。その境界線で味わう食事は、記憶の深い場所に刻まれる。旅の本当の目的とは、こうした何気ない「温度」を分かち合い、確認し合うことにあるのかもしれない。

頬を刺す風と、路上の温もりに触れるとき

別府駅からホテルまで、歩いて二十五分。大人は「いい散歩になる」と楽観的に言うけれど、小さな子供たちにとっては、それは果てしない距離に感じられたはずだ。冬の澄んだ空気の中、冷たい風が容赦なく頬を叩く。途中で老二が不意に足を止め、「温泉って、どうしてここにあるの?」と不思議そうに聞いてきた。私たちは答えに詰まり、しばらくの間、一緒に考え込んだ。正解を導き出すことよりも、一緒に不思議がる時間の方が、ずっと贅沢で豊かなものに思えた。そんなとき、ふと目に飛び込んできたのが梅まつりの景色だ。紅白の梅の花が、凛とした佇まいで咲き誇っている。その鮮やかな色彩が、冬の灰色だった景色に心地よいリズムを刻んでいた。

歩き疲れて足が重くなった頃に口にした、道端の温かい軽食。白い湯気が舞い上がり、冷え切った指先をじんわりと温めてくれる。口の中に広がる素朴な甘さと塩気。それは高級なレストランのコース料理よりも、ずっとダイレクトに心に届く味がした。老大が「お腹いっぱい!」と屈託なく笑い、口の周りにソースをつけたまま私を見た。私はそれを優しく拭いながら、この乱雑で、少しだけ不便な移動時間こそが、旅の真のハイライトなのだと気づく。目的地にたどり着くことよりも、そこに至るまでの「迷い」や「疲れ」を共有すること。それが家族というチームの絆を、静かに、でも確実に太くしていく。冷たい風が吹くたびに、隣にいる誰かの体温が、より鮮明に、より愛おしく感じられた。

琉球畳の静寂と、深夜に分かち合う秘密

ホテルに戻り、ロビーで靴を脱いだ瞬間、足裏に伝わる床の清潔な感触に深く安堵する。案内されたファミリールームに足を踏み入れると、そこには琉球畳の柔らかな質感が待っていた。裸足で踏みしめたときの、あの独特の弾力と滑らかさ。子供たちはその感触が気に入ったらしく、畳の上をごろごろと転がりながら、旅の興奮を体で表現している。お風呂上がり、心地よい疲労感に包まれながら、私たちはコンビニで買い込んだお菓子を広げた。深夜の部屋で、誰にも邪魔されずに食べるポテトチップスの乾いた音と、口の中でとろけるチョコレート。それは、昼間のどの豪華な食事よりも贅沢な、私たち家族だけの秘密の儀式だ。

老二はいつの間にか、私の腕の中で深い眠りに落ちている。老大も布団に潜り込み、規則正しい寝息を立て始めた。私は一人、専用バルコニーに出て、夜の別府湾を眺めた。波の音が遠くで低く、一定のリズムで響いている。それはまるで、街全体が深く静かな呼吸を繰り返しているかのように聞こえた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った空間で、私は自分の中にある「孤独」という名の静かな場所を、そっと撫でる。それは寂しさではなく、完全に満たされた静寂だった。子供たちが眠りについた後のこの空白の時間こそが、私にとって最高の休息となる。畳の上に散らばった小さな靴下を一つひとつ拾い上げながら、私はこの不完全で愛おしい時間を、いつまでも覚えていたいと願った。眠りと覚醒の間に横たわる、心地よいラグ。その中で、私たちはただ、ここに在ることを許されていた。

波の音が、ゆっくりと私たちを深い眠りへと誘っていく。

  • 朝食に提供される大分産の鰻。ふっくらとした身と甘辛いタレの調和を、ぜひゆっくりと味わってほしい。
  • 二月の梅まつり。冷たい空気の中で咲く梅の花と、別府湾の青いコントラストは、心に深く響く光景だ。