← 戻る 亀の井ホテル 別府

雨の匂いと、誰かが笑ったゲーム機の音

雨の匂いと、誰かが笑ったゲーム機の音

湯煙の街で不意に触れた、5つの記憶の断片

駅からの5分間、硫黄の香りが肌にまとわりつく感覚
JR別府駅からホテルへ向かう短い道すがら、キャリーケースの車輪がアスファルトを叩く不規則なリズムが耳に残っている。湿った空気が肺の奥まで入り込み、街全体が巨大な湯船に浸かっているような、濃密な湿度に包まれた。「なんか卵みたいな匂いがするね」と、少しだけ顔をしかめて笑う君の横顔が、5月の柔らかな光に溶けていて、その何気ない仕草に不意に心が緩んだ。

キッズコーナーの駄菓子を前に、誰が一番子供か競い合ったこと
大人の旅を気取っていたはずなのに、私たちは吸い寄せられるように3階のキッズコーナーへ迷い込んだ。色とりどりの駄菓子を前に、「どっちがより懐かしいか」という答えのない賭けに、本気で取り組む。プラスチックの容器がカサカサと鳴る乾いた音と、誰が一番幼稚な選択をしたかというくだらない言い争いだけが、その空間を支配していた。結局、一番高いお菓子を迷わず手に取った君が、一番の子供だったけれど。

上階層の客室でベッドに沈み、街の灯りが塩のように見えた瞬間
部屋に入り、冷たいフローリングからふかふかのベッドへ体を預けたとき、皮膚の緊張がほどけるような深い解放感に襲われた。窓の外に広がる別府の街並みは、夜になると誰かがぶちまけた白い塩のように、小さく、静かに点在している。その静寂の中で、廊下を歩く誰かの遠い足音が、心地よい孤独を温かな温度に変えてくれる。この適度な距離感こそが、旅という贅沢の正体なのかもしれない。

朝食ビュッフェの白い湯気の中で、地元の滋味に舌を巻いたとき
午前7時のレストラン。料理から立ち昇る真っ白な湯気が視界を遮り、世界が急に親密な距離まで狭くなる。地元の食材をふんだんに使った濃い味わいが、まだ半分眠っている舌をゆっくりと呼び覚ましていく。皿がぶつかり合う金属音と、深く香ばしいコーヒーの匂いが混ざり合い、私たちは言葉を交わさずとも「ここに来て正解だった」と確信していた。焼きたての料理の熱が、指先から心臓までゆっくりと伝わってくるのが分かった。

別府公園の藤の花が、重い雨を予感させていた午後の静寂
亀の井ホテル 別府を出て歩いた公園では、紫色の藤の花がしだれ、まるで天蓋のように空を覆っていた。5月の空気はどこか重く、肌を撫でる風がわずかに冷たい。その湿り気が、これから降るかもしれない雨の予感と、いま隣にいる君という存在の確信を、同時に運んできた。紫の花びらが風に揺れるたび、視界の端で色が滲み、時間がゆっくりと溶け出していくような錯覚に陥った。

点在する記憶が、ひとつの物語に溶け合うとき

これらの瞬間は、一つひとつは取るに足らない、ただの断片に過ぎない。けれど、亀の井ホテル 別府という場所で、湯煙というフィルターを通して眺めていたとき、それらは温泉の成分がゆっくりと溶け出すように、ひとつの景色へと繋がっていった。完璧な計画なんて、最初から必要なかった。心地よい温度の部屋があり、くだらないことで笑い合える相手がいて、窓の外に知らない街が広がっている。それだけで、私たちは十分に「旅」をしていた。

チェックアウトのとき、指先に残っていた駄菓子の甘い匂いが、ずっと消えなかった。

  • 3階のキッズコーナーで、あえて一番懐かしいお菓子を探し、思い出話に花を咲かせてみて。
  • 朝食の後は、そのまま別府公園まで歩いて、藤の花が風に揺れる音に耳を澄ませてみて。