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ぬるくなったお茶と、止まらない笑い声

ぬるくなったお茶と、止まらない笑い声

誰がこの空腹の責任を取るのか

下駄の鼻緒が少しだけ緩んでいた。歩くたびにリズムが微妙にずれ、心地よくない小さな摩擦音が夜の静寂に溶けていく。11月の松山市の夜風は、温泉で火照った首筋を刺すように冷たく、肺に吸い込む空気は冬の入り口に立っていた。道後温泉本館からホテルへ戻るまでのわずか5分の道のり。私たちは、お風呂上がりに誰が一番早く空腹に屈するかという、どうでもいい賭けをしていた。結果、真っ先に「何か食べたい」と口にしたのは私だった。負けだ。いつものことだが、この心地よい敗北感が旅の夜を加速させる。

道後グランドホテルに戻る途中のコンビニで、私たちは贅沢な迷路に迷い込んだ。地元のみかんをふんだんに使った色鮮やかなスイーツや、見たこともない名前の郷土惣菜。プラスチックの袋が風に煽られてカサカサと鳴るその音が、どこか祝祭の後の静けさのように響いた。明日への計画なんて早々に捨てて、ただ「今、この瞬間に口に入れたいもの」だけを詰め込んだ。指先に伝わる袋の重みは、予定調和な観光ルートを外れた瞬間の、小さな解放感に似ていた。

畳の上で交わされる、不毛で贅沢な正論

「ねえ、さっきの花火、あれ本当に『芸術的』だったと思う?」

和室の畳に大の字になって寝転がったまま、友人がぼんやりと天井を見上げて言った。道後グランドホテルの落ち着いた和室は、私たち三人が広がるとちょうどいい具合に密度が高くなる。い草の青い香りが、湿った夜気と一緒に鼻をくすぐった。私は、コンビニで買ったみかんゼリーを冷たいスプーンですくいながら答えた。

「まあ、点みたいに小さかったしね。でも、あの『点』にこそ意味があるっていうのが芸術ってことでしょ」

「言い訳が上手いなあ。もう、完全に予算不足だったんじゃないの」

「いいじゃん。そういう不完全なところがあるから、旅は面白いんだよ」

私たちは、部屋に用意されていたおにぎりを広げた。手のひらに収まるちょうどいい温度で、米粒の一つひとつが独立して心地よい弾力を持っている。口に運ぶと、シンプルな塩味がじわりと広がり、空腹に心地よく染み渡った。豪華な会席料理もいいけれど、深夜3時に照明を落とした部屋で、畳のざらつきを感じながら食べるおにぎりは、なぜか人生で一番贅沢な食事に感じられる。

「っていうか、さっきの浴衣の結び方、絶対間違ってたよね。後ろから見て、なんか変な結び目になってたし」

「うるさいなあ!あれが最新のスタイルなの」

「無理がある。誇張しすぎ」

笑い声が狭い部屋に反響し、壁にぶつかって戻ってくる。誰が正しいかではなく、誰が一番面白く言い返せるか。そんな不毛な会話こそが、この旅のメインディッシュだったのかもしれない。私たちは、お互いの失敗を肴にして、ぬるくなったお茶をゆっくりと啜った。

静寂が塗りつぶしていく、夜の余韻

最後の一口まで食べ終え、袋の中身が空になった。言葉も、ゆっくりと底をついていく。部屋の中には、エアコンの低い動作音と、時折聞こえる遠くの車の走行音だけが残った。先ほどまであんなに騒がしかった空間が、嘘のように静まり返る。でも、その静寂は孤独なものではなく、むしろ心地よい重みを持って私たちを包み込んでいた。

畳の上に散らばったコンビニのゴミと、脱ぎ捨てられた色浴衣。それらが作り出す乱雑な景色が、今の私たちにとっての正解だった。完璧に整えられたホテルの設備よりも、この「乱れ」こそが、私たちがここにいたという確かな証明になる。指先に残ったみかんの甘い香りと、足の裏に感じる畳の感触。それらがゆっくりと意識から消えていくとき、今日一日の記憶が、心地よい残響のように心の中で繰り返されていた。

道後グランドホテルの布団に潜り込む。リネンのひんやりとした感触が肌に触れ、次第に体温で温まっていく。明日になれば、また誰かの期待に応える役割を演じなければならないけれど、今はただ、この不完全な静寂の中に浸っていたい。目を閉じると、暗闇の中で先ほどの笑い声が、かすかな周波数となって響き続けていた。

窓の外で、夜の道後が静かに呼吸をしていた。

  • 道後商店街で売っている、もっちりした食感の「みかん大福」を夜食に買うこと。
  • 湯かごを持って、あえて深夜の道後温泉本館まで散歩し、冷たい空気を吸い込むこと。