← 戻る しょうげつ

浴衣の袖が擦れる音と、不格好な月

月と湯に溶け込む、家族の記憶を刻む五つの音

1. 川の低い唸りと、深く吐き出されたため息。
宿から歩いて五分、益田川のせせらぎは、街の喧騒をすべて濾し取る天然のフィルターのようだった。ひんやりとした秋の空気が頬を撫で、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。隣を歩く夫がふっと深く息を吐いたとき、それは疲れではなく、「ようやく辿り着いた」という心地よい降伏の音に聞こえた。

2. お湯を蹴る音と、弾けるような高い笑い声。
大浴場で、下の子が全力で水を蹴った時の「バシャッ」という激しい音が、この旅で最も鮮やかな記憶として刻まれた。濃厚な湯気に包まれ、肌にまとわりつく温泉のぬるみと、塩素の混じらない純粋な水の匂い。完璧な家族旅行なんて無理だけれど、この不格好な水しぶきこそが、今の私たちにとっての正解なのだと確信した。

3. 厚い絨毯に吸い込まれる、小さな足音の行方。
しょうげつの廊下を、上の子が「月が見える!」と歓声を上げて駆け抜けていく。琥珀色の柔らかな照明が照らす廊下で、足音は厚いカーペットに飲み込まれ、どこか遠くで鳴っているように聞こえた。静寂が音を優しく包み込む感覚に、追いかける私たちの心まで解きほぐされ、世界に家族だけが取り残されたような贅沢な錯覚に陥った。

4. お箸が器に当たる音と、飛騨牛の焼ける芳ばしい調べ。
料理茶屋で、子供たちが野菜を避けて肉にだけ手を伸ばす、あの賑やかなリズム。カチカチと陶器に当たる箸の音は、まるで小さな打楽器の演奏のようで、脂が弾ける香ばしい匂いが食欲を刺激する。口の中でとろける肉の温度と、時折混ざる子供たちの言い争い。そんな「乱雑な時間」こそが、何よりの贅沢なご馳走だった。

5. すすきが風に揺れる音と、揃い始めた呼吸。
夜、窓の外では凛とした夜風がすすきを揺らし、サワサワという乾いた音が部屋の静寂をより深くしていた。柔らかな綿の布団に潜り込むと、三人の子供たちの呼吸が次第に同じリズムに重なっていく。それはまるで、一つの大きな水滴が静かに形を変えていくような、穏やかで、少しだけ切ない心地よさだった。

濡れた髪から漂う石鹸の香りと、窓の外に浮かぶ不格好な月。

  • 下呂駅からの十五分、あえてゆっくり歩いて、町の空気が変わる瞬間を子供と一緒に探してみてください。
  • 貸切露天風呂では、あえて時計を外し、川のせせらぎと子供の話し声だけに耳を澄ませる時間を。