杉の香りが濃く漂うロビーで、私たちは「誰が一番早く帯を締められるか」という、どうでもいい賭けに興じた。指先に伝わる帯の硬い摩擦と、もどかしい手つき。結果、全員が不格好な巻き寿司のような姿になり、互いの滑稽な格好を見て盛大に吹き出した。
飛騨牛が舌の上で、体温に溶けていく。サシの脂がゆっくりと広がる感覚は、温かい水に塩が消えていく瞬間に似ていて、鼻腔を抜ける芳醇な香りが食欲をさらに突き動かす。炊きたての米の甘みがすべてを包み込み、いつの間にか会話は途切れ、ただ咀嚼する音だけが心地よく響いていた。
「ねえ、その歩き方、完全に迷子の侍なんだけど」と誰かが笑い、私は「君こそ、浴衣を着た大きなペンギンみたいだよ」と返した。川上屋花水亭の静謐な廊下で、私たちの低い笑い声だけが不自然に、けれど心地よく反響する。大人の振る舞いなんて、この空間の静寂に比べればあまりに軽すぎる。
「巻き寿司部、定例会」という、私たちだけにしか分からない合言葉が飛び出す。帯を締め損ねたあの惨状を思い出すだけで、視線が合うたびに肩が震える。誰にも理解されない、けれど私たちだけが共有しているこの滑稽な記憶が、旅の夜を密やかな連帯感で満たしていく。
深夜、闇に溶け込んだ洗面所へ向かう。裸足で踏みしめたタイルのひんやりとした温度が、微睡んでいた意識を鮮やかに覚醒させる。ベッドからそこまでのわずか数歩の距離が、自分の身体の輪郭をはっきりと描き出す。この適度な「距離」こそが、一人でいることの贅沢な正体なのだと感じた。
部屋の隅で本を開くと、坪庭から聞こえる飛騨川のせせらぎが、一定の周波数で鼓膜を揺らしていた。静寂とは何もないことではなく、小さな音が際立つ状態を指すのだろう。思考が和紙に滲む墨のように、ゆっくりと境界線を失って広がっていく。意識はいつしか、外の冷たい夜気に溶け出していた。
外に出ると、燃えるような紅葉が視界を赤く染めていた。ふと、誰かが足元の小さな石に躓き、派手な音を立ててバランスを崩す。その不器用な動きに、私たちはまた堪えきれず笑い合った。完璧な景色よりも、こうした小さな綻びがある方が、記憶には深く、鮮やかに刻まれる。
チェックアウトの時、誰かが小さくため息をついた。それは寂しさではなく、十分すぎるほど満たされた後の、心地よい重みのようなものだった。川上屋花水亭で過ごした時間は、私たちの関係という白い紙の上に、消えない色の染みを残した。それはきっと、いつまでも心地よい色のままであり続ける。
障子がゆっくりと閉まる音だけが、後ろに残った。
- 飛騨牛のしゃぶしゃぶは、絶対に胃袋を空っぽにして挑んでほしい。
- 露天風呂付スイートで、あえて何も話さずにぼーっとする時間を過ごしてみて。