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濡れた杉の香りと、小さな足音の残響

濡れた杉の香りと、小さな足音の残響

家族の記憶に刻まれた、五つの断片

畳のひんやりした感触:下呂駅から旅館まで歩く15分間、空気は鋭いナイフのように肌を刺し、吐き出す息は白く濁っていた。そんな凍てつく外の世界から逃れるように足を踏み入れた湯之島館で、まず触れたのが畳のひんやりとした感触だった。足裏から伝わる冷たさが、次第に部屋の柔らかな温もりに馴染んでいく過程は、まるで緊張していた心までゆっくりと解きほぐされていく儀式のようだった。次男が「ここ、冷たい!」と歓声を上げ、小さな指先を丸めて畳の感触を確かめていた。

湯気と冷気の境界線:別館の「山吹之間」に身を置くと、窓の外には深い杉木立の緑が広がり、12月の冷たい風が枝を揺らしていた。露天風呂に身を沈めたとき、鼻腔をくすぐる鋭い冬の空気と、肩を包み込む濃厚な湯気の鮮やかなコントラストに、凍えていた思考がゆっくりと溶け出していく。冷気と温水のわずかな境界線に身を任せていると、いま自分が誰と一緒にいるのかという輪郭が、ぼんやりと、けれど確かに温かく広がっていく。パートナーが「ふう」と深く、心からの溜息をついた瞬間。

飛騨牛の脂の甘み:夕食の席で味わった飛騨牛は、舌の上で体温に溶けていく濃厚でいて上品な甘みが絶品だった。浴衣の帯をうまく結べず、まるで大きな白い巻き寿司のように丸まっていた長男が、「魔法のお肉が消えた!」と目を丸くして驚いたときの、弾けるような笑顔。完璧な家族旅行など期待していなかったけれど、誰かがわがままを言い、大人がそれに振り回されるそんな乱雑な瞬間こそが、後から振り返ったときに最も鮮やかな色彩を持って記憶に刻まれる。長男がその一口に、至福の表情を浮かべたとき。

廊下に響く足音:数寄屋造りの重厚な建築が奏でる、コツコツという乾いた反響音。磨き上げられた廊下を子供たちが裸足で走り抜けるたび、古い木材が小さく悲鳴のような、あるいは笑い声のような音を立てる。静寂を守るべき登録有形文化財という空間に、私たちの不揃いなリズムが書き加えられていくことに、ある種の解放感を覚えた。スタッフの方が、子供たちの賑やかさを優しく、慈しむように見守る視線にふと気づいたとき。

森の奥に瞬く光の粒:夜、部屋の灯りを消して眺めた、深い杉の森の向こう側で宝石のように小さく瞬くイルミネーションの灯り。外の暗闇が深ければ深いほど、その光は切なく、けれど温かく心に響いた。私たちは何かを解決するために旅をしているのではなく、ただ、この不完全で愛おしい時間を共有するためにここにいるのだと、静寂の中で深く実感した。家族全員で、しばらくの間、言葉もなくその光の粒を追いかけていた。

湯気と共に、夜の闇に溶けていった静かな笑い声。

  • 駅から旅館まで、あえてゆっくり歩いてみてください。冬の冷たい空気の中で、次第に濃くなる温泉の香りに気づくはずです。
  • お子様と一緒に、館内の古い建築の細部を探検してみてください。職人の手仕事が残る柱や梁に、小さな発見があるかもしれません。