3月の下呂は、まだ冬の残り香が肌に張り付いている。駅に降りた瞬間、氷のような風が頬を叩き、鼻の奥がツンとした。私たちは「誰が一番先に迷子になるか」という不毛な賭けをしていたけれど、結果的に全員で同じ方向の、けれど全く違う道を歩いていた。互いの方向感覚のなさに呆れながら、冷え切った指先を温めたいという本能的な欲求に、私たちはあっさりと屈した。
ライブキッチンの熱気と、ジュウジュウと脂が弾ける快い音。目の前で焼き上げられた飛騨牛を口に運んだ瞬間、濃厚な旨みがじゅわっと広がり、芯まで冷えていた体に熱が染み渡っていく。香ばしい肉の香りが鼻をくすぐり、ダイエットという概念はこの空間から完全に消し去られた。隣で誰かが「明日から本気出す」と呟いたけれど、その声には確信など微塵もなかった。
「オールインクルーシブって、つまり飲み放題ってことだよね?」誰かがそう言った時の目の輝きは、獲物を狙う獣そのものだった。TAOYA下呂のラウンジで、冷えた生ビールを何杯重ねたか、もう数えるのをやめた。酔い心地に任せて喋りすぎた友人の声が、心地よいリバーブのように空間に溶け込んでいく。互いの情けない失敗談を肴に、私たちは夜が明けるまで笑い転げていた。
雛人形の鮮やかな色彩を眺めながら、私たちは自分たちの人生の「配置」について語り合った。誰が一番上の段にふさわしいかという、答えのない不毛な議論。桜の開花予想を巡って、根拠のない自信満々な予測を言い合う。誰の予想が外れるかに賭けたけれど、結果的に全員外れた。けれど、その外れっぷりにまた笑い合えるから、それでいいのだと思った。
湯船に深く身を沈めると、耳までお湯に浸かり、外の世界の喧騒が遠のいていく。水中で聞く自分の鼓動のような、静かで深い響き。隣でふっとため息をついた友人の肩が、ゆっくりと緩んでいくのが分かった。言葉にしなくても、今この瞬間が最高に心地いいことは、お互いに分かっていた。沈黙が心地よいというのは、信頼の別の言い方なのだろう。
TAOYA下呂のラウンジの床は、裸足で歩くと少しだけひんやりしていて、それがかえって心地いい。深夜、誰が最後まで起きているかを競い合っていた時の、あの静まり返った空間の質感。時計の針が刻むカチカチという音が、いつもより鮮明に耳に届いた。そんな些細な音にさえ耳を澄ませられる贅沢が、ここにはあった。
街を歩いていて、偶然迷い込んだ小さな路地。そこにあった古びた看板の、色褪せた文字が今の自分たちに言い当てられているようで、みんなで同時に吹き出した。計画にない寄り道こそが、この旅のメインディッシュだった。完璧なスケジュールよりも、予定外の混乱の方が、後で最高の思い出になる。
旅の終わりは、音が消えた後の残響に似ている。賑やかな笑い声が止まった後も、胸のあたりに温かい振動が残っている感じ。欠けていた部分が埋まったというよりは、欠けたままの自分たちが、心地よく共鳴し合えた時間だった。もう一度、あの冷たい風に当たってもいいと思える自分に気づいた。
靴の中に小さな砂粒が残っていることに気づいた。
- ライブキッチンの飛騨牛を、一番いい状態で食べてみて。正解の味がするから。
- 桜の予想なんて無視して、ただ街を歩いてみて。意外な発見があるはず。