← 戻る RoheN ASHINOKO

濡れたアスファルトで止まったキャリーケースの音

誰が一番に遅刻するかという賭け

駅の改札を出た瞬間、肺の奥まで入り込む3月の空気は、まだ冬のしっぽを掴んでいるみたいに冷たかった。コンクリートに叩きつけられるキャリーケースの硬い音が、規則正しく、でもどこか焦ったリズムで響いている。私たちは駅の待ち合わせ場所で、誰が一番に遅刻するかという不毛な賭けをしていたけれど、結果はどうなったと思う?結局、一番最後に現れたのは、一番「準備万端」を自称していたあいつだった。しかも、手にはコンビニで買ったばかりの、中身が半分溶けかかったアイスを持っている。その情けない姿を見た瞬間、私たちは同時に吹き出した。笑い声が冷たい空気の中で白く弾けて、それが今回の旅の本当の始まりだったという気がする。誰かが「充電器忘れた」と絶望的な声を上げたけれど、まあいいじゃないか。足りないものがあるからこそ、誰かに頼る口実ができる。そういう不便さこそが、旅の心地よいノイズになるのだと思う。


霧に溶ける湖と、正解のない寄り道

バスの窓ガラスに額を押し当てて眺める景色は、淡いグレーと深い緑が混ざり合った、境界線の曖昧な世界だった。箱根の道中、ふと目に入った店先に飾られたひな人形の鮮やかな色彩が、モノトーンに近い景色の中でそこだけ温度を持っているように見えた。私たちは、桜の開花予想について、根拠のない議論を戦わせていた。「今年はきっと、私たちが帰る頃に満開になる」とか、「いや、もうどこかで咲いているはずだ」とか。正解なんてどうでもいいけれど、そういう答えの出ない会話をしながら、わざと目的地とは違う方向のバス停で降りてみた。濡れた路面を歩くと、足裏からじわりと冷たさが伝わってきて、それがかえって意識をはっきりさせてくれる。ふと見上げた空から、細い雨が降り始めた。傘を出すのが面倒で、みんなで一つの大きなストールを被って歩いたけれど、肩がぶつかり合うたびに、言葉にならない安心感が広がった。迷子になることは、この街では一つの正解なのかもしれない。目的地に最短距離で辿り着くことよりも、わざわざ遠回りして、誰が一番に濡れたかを競い合う。そんなくだらない時間が、実は一番贅沢なことなんじゃないか、なんて思う。


RoheN ASHINOKO、銀色の静寂に飛び込む

ホテルの自動ドアが開いた瞬間、外の湿った冷気とは違う、乾いた温もりが肌を包み込んだ。RoheN ASHINOKOのロビーに足を踏み入れたとき、まず気になったのは、絨毯が足音を完全に吸い込んでいることだった。都会の喧騒に慣れた耳には、その静寂がむしろ心地よい重圧のように感じられる。部屋に入って、誰がどのベッドを確保するかという静かな、けれど激しい戦争が始まった。結局、一番早く飛び込んだあいつが特等席を勝ち取ったけれど、その様子を見て笑っているだけで、心地よい疲労感が波のように押し寄せてくる。ベッドのシーツは、ピンと張られていて、肌に触れるとひんやりとしているけれど、潜り込んだ瞬間に体温で温められ、深い繭に包まれたような感覚になる。窓の外に広がる芦ノ湖は、夕暮れ時になると叩き出された銀色のプレートのように鈍く光っていた。その水面をじっと眺めていると、自分の中にある雑音がゆっくりと消えていくのがわかる。もしかして、私たちは静寂を求めてここに来たのではなく、静寂の中で笑い合える誰かが欲しかっただけなのかもしれない。

ここで一つ、信じられない出来事があった。湖をバックに「最高にエモい写真」を撮ろうと意気込んでいたあいつが、シャッターを切った瞬間に、画面いっぱいに鳩のアップが写り込んでいた。完璧に構えたポーズと、あまりに無防備な鳩の顔。そのギャップに、私たちは部屋が揺れるほど笑った。そういう、計算できない瞬間こそが、この旅のハイライトになる。夜、部屋の明かりを落として、湖から聞こえてくる微かな風の音に耳を澄ませる。誰かが小さく欠伸をし、誰かが明日行く場所について曖昧な提案をしている。その不確実な会話が、心地よい周波数となって部屋を満たしていた。ここにあるのは、豪華な設備というよりも、ただ「ここにいてもいい」という絶対的な許容感だった。裸足で踏んだフローリングの温度が、ちょうどいい心地よさで、もうどこへも行きたくないと思ってしまった。


明日の朝は、きっとまた誰かが忘れ物をして、私たちはそれを笑い合うのだろう。
  • 湖畔の散歩道で、あえて地図を見ずに、一番「いい匂い」がする方向に歩いてみること
  • チェックアウト直前、あえて一番心地よい場所で、何も話さずに5分間だけぼーっとすること