← 戻る ザ・ウィンザーホテル洞爺 ヴィニェット コレクション

湖の青が、秘密みたいに深かった

湖の青が、秘密みたいに深かった

「本当に、ここでいいのかな」

「本当に、ここでいいのかな」
君がそう呟いたとき、繋いだ指先がわずかに震えていた。不安なのか、それとも期待なのか。
「わからない。でも、なんとなく、ここじゃないとダメな気がするんだ」
私はそう答えて、送迎バスの冷たい窓ガラスに額を押し付けた。車が標高を上げるにつれ、外の空気が研ぎ澄まされ、透明度を増していく。窓の外には、深い緑の森が波のようにうねり、時折白い霧が幻想的に視界を遮った。エンジンの低い振動が、私たちの間に流れる不自然な静寂を心地よく埋めてくれていた。どちらからともなく握りしめた手のひらの、わずかな汗さえも、今は愛おしい。

境界線が溶け合う、深い青の静寂

ザ・ウィンザーホテル洞爺 ヴィニェット コレクションのテラスルームに足を踏み入れた瞬間、足裏に触れる厚い絨毯がすべての足音を吸い込み、世界から音が消えた。その心地よい空白に、君の静かな呼吸だけが鮮明に浮かび上がる。テラスへ出ると、六月の冷ややかな風が頬を撫で、目の前には世界中のインクを流し込んだような、深く濃い洞爺湖の青が広がっていた。空と湖の境界が曖昧になるその景色は、まるで意識が溶け出していくような錯覚を覚えさせる。

私たちの関係は、濡れた紙に落とした一滴のインクに似ている。最初は明確な点だったはずなのに、時間と共にゆっくりと、境界線が曖昧に滲んでいく。どこまでが私で、どこからが君なのか。その答えを無理に定義しなくていいのだと、この圧倒的な静寂が教えてくれた気がした。

ラウンジに漂う淹れたての紅茶の香りと、窓から差し込む柔らかな午後の光。そこで味わったミルクプリンは、舌の上でゆっくりと溶け、北海道の豊かな土と風の記憶を運んできた。甘すぎないけれど芯にある濃厚なコク。それを一口食べて、「美味しいね」と笑い合ったとき、私たちは初めて旅程というしがらみを忘れ、ただ「今ここにいること」に没入できた。

ふとした拍子に、テラスで完璧な写真を撮ろうとして、忽然の突風に髪をぐちゃぐちゃにされた。君の顔が前髪で隠れ、私は思わず吹き出した。君も照れくさそうに笑う。そんな、誰にも見せない、SNSにも載せない不格好な時間が、実は一番心地よかった。

温泉に浸かれば、柔らかな湯気が庭園の緑を淡い水彩画のように塗り替え、強張っていた心まで解きほぐしていく。お湯のぬくもりが肌に浸透し、指先の冷えが消えていく。隣り合う肩から伝わるわずかな体温が、どんな言葉よりも正直に、今の私たちの距離を物語っていた。もしかしたら、私たちはまだお互いのことを完全には理解できていないのかもしれない。けれど、この深い青に囲まれて、心地よい不確かさの中に身を委ねることは、案外悪くないなと感じた。

夜、部屋の灯りを落とすと、窓の外には星屑のような光と、静まり返った湖だけが残っていた。リネンの清潔な香りに包まれ、深夜三時にふと目が覚めたとき、隣で眠る君の規則正しい呼吸音が、世界で一番安心できるリズムに聞こえた。私たちは正解を探すのをやめて、ただこの心地よい周波数に合わせて、深い眠りに落ちていった。

指先が触れた瞬間の、あの静かな体温だけを、永遠に覚えていたい。

  • 予定を全部白紙にして、テラスで湖の色がゆっくりと変わるのをただ眺めてみて。
  • チェックアウトのあと、あえて遠回りして、紫陽花が揺れる小道を一緒に歩こう。