← 戻る ホテルリソル 函館

浴衣の帯が緩んで、夜風が通り抜けた瞬間

浴衣の帯が緩んで、夜風が通り抜けた瞬間

路面電車のベルと、迷子のスーツケース

アスファルトを叩くキャスターの乾いた音が、駅前の喧騒に激しく混ざり合っていた。7月の函館は、肌にまとわりつく湿気さえもどこか懐かしい温度を帯びている。「ねえ、結局誰が予約したの?」「え、あなたじゃないの?」そんな些細なことで言い合いながら、私たちは笑い声を上げ、ホテルリソル函館の入り口へと辿り着いた。ドアを開けた瞬間、鼻腔をくすぐったのは、深い森を歩いているような静謐なウェルカムアロマの香り。それまで張り詰めていた旅の緊張感が、ふっと緩むのがわかった。靴を脱いで一歩踏み出したとき、足裏に伝わったタイルのひんやりとした感触。そこから私たちの、計画通りにいかないけれど愛おしい旅が始まった。

この場所が私たちに教えてくれた、些細なこと

「境界線」を脱ぎ捨てる心地よさ
ロビーで靴を脱ぐという行為は、社会的な肩書きや、友人同士の微妙な遠慮さえも脱ぎ捨てる儀式のようだった。裸足に近い感覚で空間に溶け込むことで、会話のトーンが自然と低くなり、普段は隠している本音に近い言葉が、心地よいリズムで漏れ出した気がする。

正解よりも「今の気分」で選ぶ贅沢
「イートウェル・ブレックファスト」のメニューに添えられたアイコンを眺めながら、「健康的に食べるか、欲望に忠実に食べるか」で10分ほど真剣に議論した。結局、全員が一番不健康そうで贅沢なメニューに手を伸ばしていたけれど、その迷いと選択こそが旅の正解だったのだと、今は確信している。

止まっている船の上で眠る感覚
モダレットダブルの部屋に飾られた櫂やマリンランプの鈍い光を眺めていると、ここが陸地であることを忘れてしまいそうになる。心地よい緊張感を孕んだ海辺のインテリアが、眠りに落ちる直前の意識を、ゆっくりと深い紺色の海へと沈めてくれるような感覚があった。

「3分」という距離がもたらす余裕
JR函館駅から徒歩3分という絶妙な近さが、私たちに「もう一度だけあのお店に寄ろうか」という贅沢な迷いを与えてくれた。急がなくていいという安心感は、旅における最高の調味料であり、心にゆとりという名の空白を作ってくれた。

リストの外側にある、溶け合う時間

結局、私たちが一番記憶に刻んでいるのは、予定表には一行も書いていなかった「浴衣での大失敗」だった。お互いに帯の結び方がわからず、スマートフォンの解説動画を凝視しながら、もどかしい格闘を繰り広げた時間。誰かの帯が不自然に盛り上がり、それに気づいた瞬間に全員で吹き出した。あのとき、私たちの間にあった「個々の自意識」という粒が、温かいお湯に溶ける塩のように、ゆっくりと、けれど確実に境界線を失っていった気がする。一人ひとりが独立した個であることよりも、ただ一緒に笑っているという状態の方が、ずっと心地いい。そんな感覚に気づかせてくれたのは、ホテルリソル函館の柔らかい照明と、窓の外から遠く聞こえてくる路面電車の低い振動だったのかもしれない。

そのまま街へ出た私たちは、七夕の飾り付けに彩られた通りを歩き、夜空に咲く大輪の花火を見上げた。火花が散った瞬間の、空気を震わせる重低音。隣にいる友人の肩が触れている、確かな体温。完璧なプランなんて、最初から必要なかったのだ。ただ、心地よい空間に身を委ね、不器用な時間を共有すること。それだけで、心の中の空白が、温かな充足感で満たされていくのがわかった。

部屋に戻り、ふかふかのベッドに深く沈み込んだとき、心地よい疲労感が寄せては返す波のように押し寄せてきた。

  • 浴衣を着るなら、帯の結び方を事前に練習しておくか、スタッフの方に甘えるのが正解です。
  • 朝食のアイコンをあえて無視して、直感だけで皿を埋め尽くす贅沢を味わってみてください。