「ここ、なんだか不思議な感じがするね」
「ここ、なんだか不思議な感じがするね」
濡れたコートの肩を軽く叩いて、君がいたずらっぽく笑う。駅を出た瞬間の喧騒が、ホテルの重厚なドアを一枚隔てただけで、遠い記憶のように消えていった。
「ねえ、今の音、聞こえた?」
「え?」
「静寂に、誰かの呼吸が混ざったみたいな音」
私はそう言って、ロビーの琥珀色の柔らかな照明に目を細めた。まだお互いの距離を測りかねている、心地よい緊張感がそこにはあった。
滲んでいく輪郭と、静かな呼吸
六月の函館は、湿った空気が肌に張り付く。雨に濡れて深く濃くなる紫陽花の色は、白い紙に落とした一滴のインクがゆっくりと繊維に沿って広がっていくかのようだった。私たちの関係もまた、そんなふうに境界線が曖昧に滲み出していく時間の中にあった。どちらが先に歩幅を合わせたのか、もう思い出せない。
ラ・ジェント・ステイ函館駅前の「トレイン&オーシャンビュールーム<宙船>」に足を踏み入れたとき、まず心を捉えたのは、窓外に広がるダイナミックな景色と室内の静寂のコントラストだった。遠くでホームに滑り込む列車の低い振動が、心地よいハミングのように足裏から伝わってくる。裸足で触れたフロアのひんやりとした温度が、旅の疲れと共に張り詰めていた肩の力をふっと解いてくれた。部屋に満ちる淡い光が、私たちの輪郭を柔らかくぼかしていく。
お風呂から上がった後、二人で並んで座ったベッドのシーツからは、洗い立ての清潔なリネンの香りがした。外の雨のグレーが室内に溶け込み、部屋全体が静かな水色に染まっていく。君がふと指差した窓の外の街灯が、暗がりに小さく瞬いていた。その瞬間、私たちは言葉を交わさなくても、同じリズムで呼吸していることに気づいた。それは、別々の色だった二つの絵の具がゆっくりと混ざり合い、新しい色に変わっていくような感覚だった。
翌朝、レストラン「プレガロ」でいただいた朝食の、地元産ホタテの濃厚な甘みが、まだ眠っていた感覚をゆっくりと呼び覚ましていく。温かい湯気が鼻腔をくすぐり、口の中で弾ける海の香りが、旅の充足感を確信させてくれた。窓から差し込む朝の光は、昨夜の雨を嘘のように拭い去り、澄んだ空気とともに私たちの新しい一日を祝福しているようだった。
夜に訪れたバー「ソブリン」では、帆船の船内をイメージした重厚な木の香りと、琥珀色の照明が私たちを包み込んだ。地元の日本酒を一口含んだとき、舌の上に広がるわずかな甘みと酸味が、旅の緊張をゆっくりと溶かしていく。隣り合う肩の距離が、さっきよりも数センチだけ近くなっている。ふと、君がメニューを逆さまに持っていることに気づいて私は小さく吹き出した。照れくさそうに笑う君の、誰にも見せない小さな隙に触れたとき、私たちはようやく、お互いの本当の輪郭を見つけたのかもしれない。
天然温泉の湯気に包まれ、肌がじわりと温まっていく感覚は、冷え切った心に体温が戻ってくるような静かな変化だった。何かを解決しようとするのではなく、ただそこに在ることを許し合う。そんな贅沢な時間が、ここには流れていた。
雨上がりの夜道、一つの傘の下で、肩が触れ合うたびに心地よい体温が伝わってきた。
- 窓の外に列車が通り過ぎる瞬間を、ただ黙って二人で眺めてみて。
- バーの深い椅子に身を任せて、あえて計画のない明日の話をしよう。