次男が、貸出の浴衣をマントのようにひらひらと羽織って、廊下を全力で駆け抜けていく。裸足で踏みしめるカーペットの深い厚みが、小さな足音を心地よく飲み込んでいた。父は「もう子供じゃないんだから」と苦笑いしながらも、その追いかけっこに誘われ、つい足早に後を追う。部屋の中には、開けっ放しのスーツケースから色とりどりの服が溢れ出し、まるで小さな布の山が出来上がっていた。旅の高揚感と、心地よい疲労が混ざり合った空気。そんな光景を眺めていると、日常で溜め込んでいた緊張が、小さな白い結晶となって心の中に静かに降り積もっているのがわかった。
天然温泉の湯船にゆっくりと身を沈めると、肌を包み込む温度が絶妙に心地よかった。肩まで深く浸かった瞬間、心の中にあったあの白い結晶が、熱に導かれてゆっくりと溶け出していく。誰にも邪魔されない、贅沢な数分間。水面に立ち上る白い湯気が視界を淡く染め、凝り固まっていた思考が、お湯に溶けるようにぼんやりとほどけていく。指先までじんわりと温まり、重く強張っていた背中が柔らかく解き放たれる。ここでは、親である前に、ただの一人の人間として、重力さえも忘れて解放されることが許されている気がした。
部屋に流れるVODルームシアターの控えめな音色と、隣で小さく、規則正しい寝息を立て始めた子供たちのリズム。時折、遠くから函館駅へと向かう電車の走行音が、低いベースラインのように地響きを伴って響いてくる。その音が、自分たちが今、見知らぬ街の心地よい隙間に身を置いていることを静かに教えてくれる。静寂とは、単に音が無いことではない。こうした小さな生活の音が層になって重なり合い、安心感という名の調和を生み出している状態のことなのだろう。
朝食のテーブルに並んだのは、函館の海が育んだ贅沢な海の幸。口の中でぷりっと弾けるイカの鮮やかな食感と、出汁の深く効いた温かい味噌汁の湯気が、ふわりと鼻先をくすぐる。次男が「これ、おいしい!」と、口の周りにご飯粒をつけたまま、屈託のない笑顔を見せる。それは決して手の届かない贅沢ではないけれど、家族全員が同じテーブルを囲み、同じ温度の食事を分かち合う。そのシンプルで確かな時間が、何よりも贅沢に感じられた。お箸が触れ合う小さな音と、とりとめのない会話が心地よく混ざり合う、賑やかな朝の風景。
午前六時の部屋。厚いカーテンのわずかな隙間から差し込む光が、淡いブルーの帯となって床に長く伸びている。まだ半分眠っている意識の中で、その光の角度をぼんやりと眺めていた。影がゆっくりと、しかし確実に移動し、部屋の輪郭を少しずつ書き換えていく。外ではもう、函館の街が静かに動き出している頃だろう。けれど、この部屋の中だけは、まだ誰にも気づかれていない秘密の時間のような、ひんやりとしていて澄んだ空気が流れていた。
サイドテーブルの上にぽつんと置かれた、プラスチック製の小さな恐竜のフィギュア。旅の途中で買った、安っぽいけれど彼にとっては宝物のおもちゃ。その表面のざらついた感触を、指先でそっとなぞってみる。子供たちが夢中になるものは、大人の目には見えない、かけがえのない価値を宿している。この小さな物体が、今回の旅の道標のようにそこに鎮座している。忘れ物にならないように、けれど、私たちがここにいた確かな証拠として、しばらくそのままにしておこうと思った。
花火大会の喧騒を抜け、ルートイングランティア函館駅前へと戻る夜道。夜風が火照った頬を心地よくなで、潮の香りがかすかに混じっている。駅まで歩いて数分という絶妙な距離が、心地よい疲労感の中で心地よい歩調を作っていた。子供たちは疲れ果て、大人の手にどっしりと体重を預けている。もう言葉は必要ない。ただ、隣に誰かがいるという確かな体温だけを感じながら、私たちはゆっくりとホテルの明かりへと吸い込まれていった。すべてが透明になったような心地よさが、全身を優しく包み込んでいた。
玄関に脱ぎ捨てられた、小さなサンダルが二足、仲良く並んでいた。
- 子供と一緒に天然温泉で心身を解きほぐした後は、駅前までのお散歩で函館の夜風を堪能してください。
- 朝食の無料サービスを利用して、地元の旬の味を家族でゆっくりと味わう時間を大切に過ごしましょう。