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裾を引いた浴衣が、畳の上を滑る音

裾を引いた浴衣が、畳の上を滑る音

賑やかな家族を連れて、なぜこの静寂に身を置きたかったのか。

石和温泉駅から石和常磐ホテルへ向かうわずか3分の道。5月の空気はしっとりと肌にまとわりつき、どこからか藤の花の甘い香りが風に舞っている。アスファルトを叩く子供たちの不規則な足音は、まるで旅の始まりを告げる軽快なリズムのようだ。「静かに歩いて」と口では言いながらも、その騒がしさこそが今の私たちに必要な調律なのだと感じる。ロビーに足を踏み入れた瞬間、外の喧騒を遮断する和の静寂が、ひんやりとした空気と共に降りてきた。そこで手渡された子供用の浴衣はあまりに大きく、裾が畳の上をさらさらと擦れる。その小さな摩擦音が、ここでは完璧な親である必要はなく、ただの家族に戻っていいのだと、静かに許してくれた気がした。使い込まれた畳のい草の香りと、スタッフの自然な笑顔。整いすぎた高級リゾートよりも、こうした「隙」のある空間の方が、家族という不完全なチームにはちょうどいい。足元の不安定さや、予測できない子供の動きさえも、ここでは風景の一部として溶け込んでいく。そんな、肩の力が抜ける心地よさがここにはあった。

子供たちの心を最も激しく揺さぶったのは、どの瞬間だったか。

食事の時間、テーブルに運ばれてきた甲州牛の芳醇な香りに、子供たちの瞳が好奇心でらんらんと輝いた。それは、何か得体の知れない宝物を見つけた時のそれに似ていた。箸で持ち上げた肉から立ち上る白い湯気と、舌の上で体温に溶けていく脂の濃厚な甘み。口に入れた瞬間に訪れた静寂は、どんな言葉よりも雄弁に「美味しい」を伝えていた。その後、貸切風呂に浸かったときのことだ。お湯に触れた瞬間、子供が「お水が、ぬるぬるしてる!」と大声を上げた。美肌の湯と呼ばれるそのお湯は、指の間をすり抜けるたびに、まるで薄い絹の膜をまとっているような不思議な質感がある。鏡が真っ白に曇るまで、誰が一番長く潜れるかを競い合い、笑い転げる。その飛沫が壁に飛び散る様子さえも、ここでは愛おしい記憶の断片となる。また、近所でのフルーツ狩り体験。指先に触れる果実の産毛の心地よい刺激や、弾けるような果汁の鮮やかな温度。教科書で見る「自然」ではなく、実際に指先で触れ、口に運ぶことで得られる、生きた情報。子供たちは、洗練されたサービスよりも、そういう「手触りのある体験」に、本能的に惹かれるのかもしれない。お風呂上がりに、少し大きすぎる浴衣の袖を振り回しながら廊下を走る姿を見て、私はふと思った。正解の旅とは、計画通りに進むことではなく、こういう予期せぬ発見の連続のことなのだろうと。

旅路を終え、心に深く沈殿して残ったものは何か。

最終日の朝、和室ベッドの柔らかな感触に身を委ねていたとき、窓から差し込む光が、室内の微細な埃を金色の粒子のように躍らせているのに気づいた。深夜、子供たちが寝静まった後に感じた、あの深い静寂。そして、早朝に聞こえてくる、誰かが廊下を歩くかすかな足音。それらが重なり合って、一つの穏やかな曲のように聞こえてくる。私たちは、完璧な家族旅行を計画していたはずだった。けれど、実際に心に残ったのは、温泉に指を突っ込んで驚いた顔や、浴衣の帯をうまく結べずにもがいていた時間、そして、そんな彼らを眺めながら、自分たちも一緒に笑っていた記憶だ。石和常磐ホテルという場所が、私たちの間にあった、なんとなく言葉にしづらい距離感を、お湯の温かさでゆっくりと溶かしてくれたのかもしれない。チェックアウトに向かうとき、子供が「また、ぬるぬるのお風呂に入りたい」と呟いた。その小さな声が、この旅のすべてを肯定してくれた気がする。私たちは、何かを達成しに来たのではなく、ただ一緒に心地よい時間を共有しに来ただけなのだ。そう気づいたとき、心の中にある重い荷物が、ふっと軽くなった。

裾を引いた浴衣を脱ぎ、日常へ戻る。けれど指先に残るぬくもりだけは、消えずにいた。

  • 5月の藤やバラが咲き誇る季節に、駅からの短い散歩道をゆっくりと歩いてみてください。
  • お食事の際は、甲州牛の濃厚な脂の甘みを、まずは何もつけずに一口味わうのがおすすめです。