← 戻る 伊豆高原・城ヶ崎温泉 花吹雪

濡れたスニーカーがカーペットに沈む音

真夜中の空腹は、誰が連れてきたのか

6月の伊豆高原は、空気が水分をたっぷりと含み、肌にまとわりつくような重さがあった。湿った土と、わずかに酸っぱい雨の匂いが鼻をくすぐる。もともと「快晴に賭ける」なんていう、誰の根拠もない賭けをしたのが間違いだったと思う。結果として、私たちは城ヶ崎海岸の断崖で、降りしきる雨に打たれながら、お互いのずぶ濡れの姿を見て、ただただ呆然としていた。けれど、その絶望感さえも、どこか心地よいリズムを持っていて、私たちは笑いながら「伊豆高原・城ヶ崎温泉 花吹雪」へと逃げ帰った。チェックインし、濡れた靴を脱いだとき、足の裏から伝わるカーペットの柔らかな感触が、ひどく贅沢に感じられた。そのまま休むにはあまりに体力が余っていて、誰かが「コンビニまで行かない?」と提案した。外はまだ雨が降っていたけれど、私たちはもう、濡れることに飽きていた。傘を差しながら歩く森の道は、深い緑が雨に洗われて視界が驚くほどクリアで、私たちは自分たちの計画性のなさを、心地よい敗北感とともに笑い合っていた。

菓子を囲んで零れ落ちた、とりとめもない言葉たち

「ぶっちゃけ、今回の旅のプラン立てたの誰だったっけ」

部屋に入った瞬間、誰かがそう言い出した。私たちが泊まっているのは「日本の色棟」の紫色の部屋。壁の色がしっとりと落ち着いていて、外の雨の気配と不思議に調和している。ベッドの上にコンビニの袋を広げ、地元の銘菓やスナック菓子を並べる。指先に残る温泉の温もりと、冷たい飲み物の缶の温度差が、意識を心地よく覚醒させた。

「いいじゃん、雨のおかげで紫陽花がめちゃくちゃ綺麗だったし。あの青い色は、きっと一生忘れないと思うよ」

「まあね。でも、あの貸切風呂の数、見た? 9つもあるなんて、正直言ってやりすぎでしょ。全部入りたいんだけど」

「賛成。明日、誰が一番に風呂に入るか、ジャンケンで決めようよ」

私たちは、懐石料理でお腹いっぱいだったはずなのに、不思議と夜食が進んだ。もぐもぐと口を動かしながら、普段は照れくさくて言えないような、ちょっとした不満や、実は大切にしている小さな夢について話し始めた。笑いながら誰かの失敗をツッコみ、それに対して大げさに反論する。そんな、意味のない会話の応酬こそが、この旅のメインディッシュだったのかもしれない。ふと、誰かが口に含んだ地元のクリームパンの濃厚な甘さが、部屋の空気に溶け込んで、心地よい緩さが広がっていく。窓の外で鳴り続ける雨音が、私たちの密室感をより深め、普段よりも少しだけ素直な言葉が口をついて出た。私たちは、完璧な旅よりも、こういう「予定外の空白」がある旅の方が、ずっと自分たちらしい気がしていた。

満たされたあとに訪れる、静かな空白

最後の一口を飲み干し、袋の中が空っぽになると、それまであんなに賑やかだった部屋に、ふっと静寂が戻ってきた。それは、寂しさとは違う、充足感に満ちた静けさだ。窓の外では、まだ雨がしとしとと降り続いていて、森の木々が夜の闇に溶け込んでいる。まるで、今日一日の出来事が、白い紙に落としたインクのように、ゆっくりと、けれど確実に外側へと滲み出していく感覚だった。

青い紫陽花の色、潮風の香り、貸切風呂の湯気、そして深夜の笑い声。バラバラだった断片的な記憶が、この部屋の静寂の中でじわじわと混ざり合い、一つの大きな「心地よさ」という形に変わっていく。インクが繊維の奥まで浸透するように、この旅の感覚が私たちの心に深く染み込んでいくのがわかった。誰かが小さくあくびをし、ベッドのシーツが擦れる乾いた音が聞こえる。その音が、今の私たちにとって一番安心できるBGMだった。私たちは、無理に言葉を探すのをやめて、ただ同じ空間にいることの心地よさに身を任せた。明日になればまた、誰かが何かを言い出し、私たちはまた笑い合うだろう。けれど、この夜の静けさは、きっとずっと、私たちの内側に静かに残り続けるはずだ。

雨上がりの森から、かすかに土の匂いが漂ってきた。

  • 伊豆高原の地元の菓子店で売っている、しっとりとした和菓子と温かい緑茶の組み合わせ
  • コンビニで買える地元の限定クラフトビールと、塩気の強いナッツ類