早朝6時。まだコーヒーを口にする前の、思考が白く霞んでいる時間だ。足の裏が触れた大理石の床は、予想以上にひんやりと冷たく、その鋭い刺激に身体が小さく跳ねた。そのとき、隣で次男が「ここ、お城みたい!」と歓声を上げて走り出した。彼が裸足で床を叩く乾いた音が、高い天井に反響して、静まり返っていた空間に不規則で賑やかなリズムを刻んでいく。もしかすると、この場所で一番の贅沢は、そんな風に遠慮なく音を立てて笑い合える自由さなのかもしれない。
もともとは、静寂に包まれた優雅な家族旅行になると思っていた。けれど、実際には長女がパジャマのボタンを掛け違えて泣き、次男が廊下で追いかけっこを始める。そんな「兵慌て」な時間こそが、後から振り返ったときに一番鮮やかに思い出される、旅の本当の輪郭なのだという気がする。KAWANA(川奈)の重厚な建築は、そんな私たちの不器用な愛情を、静かに、けれど深く包み込んでくれる大きな器のような場所だった。ラグジュアリースイートの広い空間に、家族の笑い声が波のように満ちていく。
家族の記憶に刻まれた、五つの断片
特大の白いバスローブ。大人のサイズを子供が無理に着たとき、裾が床に溜まって、歩くたびに「シュッ、シュッ」と心地よい摩擦音が響く。白い布に完全に飲み込まれた次男が、それを魔法のマントに見立てて走り回り、途中で自分の裾に足を引っかけて派手に転んだ。その拍子に誰かが吹き出し、それが連鎖して、部屋の中が陽気な笑い声で満たされた。柔らかいコットンの重みが、心地よい安心感として肌に残っている。最初に気づいたのは、次男だ。
檜風呂の濃い香り。湯船に浸かった瞬間、肺の奥まで深い森の匂いが入り込んでくる。海風の塩気と、檜の甘く清々しい香りが混ざり合い、意識の境界線が曖昧になる感覚。お湯の温度がちょうどよく、強張っていた肩の力が、ゆっくりと潮に溶けるようにほどけていくのがわかった。視界を遮る白い湯気の向こうに、ぼんやりと相模湾の深い青が見えた気がした。最初に気づいたのは、父だ。
冷たい窓ガラスの結露。外は12月の凍てつく空気。暖かい室内から外を眺めようとして指先でガラスに触れると、ひやりとした鋭い感触が伝わった。長女がそこに小さくハートを描いたけれど、すぐに白い霧のような結露に覆われて、魔法が解けるように消えてしまった。その消えゆく速度を見つめていると、今この瞬間の儚さが、かえって愛おしく感じられた。最初に気づいたのは、長女だ。
地元の金目鯛の煮付け。レストランで運ばれてきた料理の、深く濃い赤色。甘辛いタレが宝石のように照りついていて、一口食べたとき、舌の上に濃厚な海の滋味が広がった。タレが指についたのを、次男が気にせずぺろりと舐めていて、母が「行儀が悪いわよ」と笑いながら言い、結局みんなで笑っていた。味覚という記憶は、景色よりもずっと長く身体に居座るのかもしれない。最初に気づいたのは、母だ。
デッキテラスを抜ける潮風。海にせり出したテラスに出たとき、強い風が頬を鋭く叩いた。波が岩にぶつかって砕ける音が、低い周波数で足元から地響きのように響いてくる。冬の空気は刺すように冷たいけれど、家族で肩を寄せ合っていると、その冷たさがかえって互いの体温を際立たせた。富士山のシルエットが遠くにあり、世界がとても広く、自分たちがとても小さな点であることに気づかされた。最初に気づいたのは、家族全員だった。
厚手のブランケットにくるまり、互いの寝息だけが聞こえる静かな夜が明ける。
- デッキテラスに出る際は、潮の満ち引きの時間を確認して。波の音が一番激しく響く瞬間が、一番心地いいから。
- 子供たちが飽きたときのために、お気に入りの絵本を一冊だけ持っていくこと。大きなベッドの真ん中で読む時間は、何よりの贅沢になる。