← 戻る 厨翠山

小さな指が、私の服をぎゅっと掴んだ

小さな指が、私の服をぎゅっと掴んだ

浴衣の綿の生地が、子供の歩幅には少しだけ長すぎる。裾を何度も踏んづけては、「おっとっと」と小さな体が左右に揺れる。裸足で廊下を歩くときの、ペタペタという湿った音が、静謐な空間に心地よく響いていた。下の子が「ここ、本当にお城みたい!」と歓声を上げて走り出した瞬間、私の袖がぎゅっと掴まれる。その手のひらの熱さと、少しだけ汗ばんだ感触。完璧な旅なんてないけれど、この不器用な距離感こそが、今の私たちにとってちょうどいい地図になるのかもしれない。


ラウンジに漂う、深煎りのコーヒーの香ばしさと、控えめに甘い菓子の匂い。ふかふかの椅子に深く腰を下ろすと、肩に溜まっていた日々の重みが、ゆっくりと床に溶け出していく感覚がある。手元にある本のページをめくる指先が、心地よく冷えていた。北欧の「フィーカ」という習慣があるらしい。ただお茶を飲んで、ひと息つく。それだけのことが、今の私には贅沢な空白に感じられた。誰の母親でも、誰の妻でもない、ただの「私」に戻れる数分間。その静寂が、心地よい重みを持って私を包み込んでいた。
トントン、トントン。規則正しく響く包丁の音が、心地よいリズムを刻んでいる。厨翠山 / Kuriyasuizanが誇る「シームレス キュイジーヌ」の舞台、オープンキッチンの中央に立つ料理人の背中と、私たちの距離はわずか2メートル50センチ。近すぎず、遠すぎない。その絶妙な隙間が、互いの時間を尊重し合う境界線のように感じられた。下の子が「ねえ、あの人魔法使いなの?」と小声で囁く。真剣な面持ちで食材に向き合う職人の手さばきは、確かに何かを新しく作り出す儀式のようだった。小気味よい音だけが、私たちの期待を静かに膨らませていく。
口に入れた瞬間、弾けるような甘みが広がった。八月の北海道でしか味わえない、瑞々しい季節の野菜。鮮やかな色彩を纏った一皿から、シャキシャキとした食感のあとに、淡い土の香りが鼻に抜ける。味覚というものは、記憶と強く結びついている。この濃密な甘さは、きっと数年後の夏に、ふと思い出すことになるだろう。子供たちが「おいしい!」と声を揃えて、口の周りをソースだらけにしている。その光景を眺めながら、私はただ、この温度と味が消えないように、ゆっくりと噛み締めていた。
岩戸観音堂へと向かう道は、しっとりと湿った空気に満ちていた。木々の隙間からこぼれる光が、地面に不規則なレースのような模様を描いている。歩くたびに、足裏から伝わる土の柔らかさと、ひんやりとした空気の層。森の呼吸が聞こえてくるような、静かな時間だった。上の子が「あそこに不思議な石があるよ」と指差す。大人が見落としてしまうような小さな発見が、この旅の本当の目的地だったのかもしれない。湿った風が頬を撫で、体温が心地よく調整されていく。
ラウンジに展示されていた、素焼きの器に触れてみる。指先に伝わるのは、ザラザラとした土の粒子と、不均一な表面の凹凸。滑らかな工業製品にはない、人間が土を捏ねたという確かな記憶がそこにあった。冷たいはずの器が、触れているうちにゆっくりと体温を吸い込んでいく。完璧ではない形をしているけれど、だからこそ、そこに居場所があるような気がする。私たちは、欠けている部分があるからこそ、誰かと繋がることができるのかもしれない。その不器用な感触を、しばらくの間、手のひらで確かめていた。
露天風呂付和風ベッドルームに戻り、畳のい草の香りに包まれる。布団に潜り込んだ子供たちの、規則正しい寝息が聞こえ始めた。昼間の騒がしさが嘘のように、部屋の中には深い静寂が降りてきている。隣で静かに息をつくパートナーの存在を感じながら、私は天井の木目に目を向けた。何もしないこと。ただ、ここに居ること。そのことが、こんなにも心を充足させるなんて。もしかすると、旅の本当の価値は、目的地に着くことではなく、こうして誰かと静寂を共有できる瞬間にあったのかもしれない。

窓の外では、夜の森が静かに、深く呼吸をしていた。

  • 子供と一緒に、ラウンジの「食のライブラリー」で、次のお料理を想像しながらレシピ本を眺める時間がおすすめです。
  • 宿から徒歩圏内の岩戸観音堂まで、あえてゆっくりと、道端の小さな花や石を探しながら散歩してみてください。