なぜ、この凍てつく静寂に家族を連れてくるのか
鼻の奥がツンとする、鋭い冷気。1月の定山渓は、空気が凍りついていて、呼吸をするたびに肺の隅まで白く染まるような感覚がある。子供たちの厚手のコートは、歩くたびにガサガサと乾いた音を立て、足元では新雪がギュッ、ギュッと、心地よい抵抗感を持って潰れていく。そんな外の世界の厳しさから逃れるように、敷島定山渓別邸の重い扉を開けて中に入った瞬間、世界の色と温度がふっと変わる。鼻腔をくすぐるのは、深く落ち着いた檜の香りと、かすかに漂うお香の匂い。そして、外の喧騒をすべて吸い込んでしまったかのような、濃密で深い静寂がそこにはあった。
もともと、家族というものは不協和音の集まりだという気がしている。それぞれが違うテンポで歩き、違う周波数で喋り、時には互いのリズムを乱し合う。けれど、こういう「隠れ家」のような場所に来ると、不思議とその不協和音が心地よいBGMに聞こえてくる。広い空間に、子供たちの高い笑い声が柔らかく反響する。大人が日常的に作り上げていた「静かにしなさい」という窮屈なルールが、この場所の圧倒的な包容力に溶けていく。もしかすると、私たちは単に静寂を求めてここに来たのではなく、静寂というキャンバスがあるからこそ、隣にいる人の呼吸の音や、小さな呟きがはっきりと聞こえることを確認したかったのかもしれない。
チェックインを済ませて部屋に向かう廊下。裸足で踏んだ畳の、少しひんやりとした、けれど肌に吸い付くような安心させる質感。そこに、家族という名の賑やかなノイズが混ざり合う。それは、整理整頓された日常では決して味わえない、愛おしく心地よい乱雑さだった。
子供たちの瞳に映った、世界で一番不思議な景色とは
「ねえ、見て!お湯が踊ってるよ!」
温泉の湯船に足を浸けた瞬間、次男が弾んだ声で叫んだ。真っ白な湯気に包まれて視界がぼやける中、水面に浮かぶ小さな気泡が、彼には精霊たちがダンスを踊っているように見えたらしい。大人はつい「温度がちょうどいいか」「のぼせないか」という効率的な確認に意識が向くけれど、子供の目はもっと別の、私たちが大人になる過程で忘れ去った小さなディテールを鮮やかに捉えている。
敷島定山渓別邸の温泉は、単なるお湯ではない。それは、冬の寒さに凝り固まった心と身体を、ゆっくりと、けれど確実に解きほぐしてくれる「液体状の優しさ」のようなものだ。湯船から上がった後、もこもこの浴衣に身を包んだ長女が、自分の袖が長すぎて手が完全に隠れていることに気づき、それを「魔法の衣装」だと言って廊下を駆け出した。浴衣の裾が床を擦る、シュシュッという軽やかな音。その音を追いかけて、私たちは笑いながら後を追う。その瞬間、親である私の心の中にあった「旅のスケジュールをこなさなければ」という強迫観念が、湯気に溶けるように消えていった。
食事の時間、運ばれてきた地元の食材をふんだんに使った料理を前にして、子供たちは真剣な顔で観察を始めていた。北海道の冬が育んだ味覚。例えば、じっくりと煮込まれた根菜の、口の中でほどける濃厚な甘み。それを一口食べた次男が、「お野菜が、お砂糖みたいに甘いね」と小さく呟いた。大人が「栄養があるから食べなさい」と指示するのではなく、彼らが自らその味のテクスチャーを発見し、感動する。その純粋なプロセスこそが、旅の正体なのだと思う。
ふと気づくと、長女が自分の指先で、お膳の上に添えられた小さな飾りを丁寧に動かして、自分だけの小さな物語を紡いでいた。そんな、誰にも気づかれないような小さな没頭。それを遠くから眺めているだけで、胸のあたりがじんわりと温かくなる。完璧なプランを完遂することよりも、こうした「意味のない時間」を共有することにこそ、人生における真の価値があるのではないか。そんな気がしてならなかった。
旅立ちの朝、心に深く刻まれているものは何か
最終日の朝、窓の外は一面の白。世界からあらゆる色が消え去り、ただ純白と淡いグレーだけが残された静謐な景色が広がっていた。けれど、部屋の中には、家族が三日間で作り出した、濃密な生活の跡が散らばっている。脱ぎ捨てられた靴下、読みかけの絵本、そして、誰がいつの間にかこぼした小さなお菓子の欠片。
それらは本来なら「片付けなければならない汚れ」なのだろう。けれど、この場所で過ごした時間というフィルターを通して見ると、それさえも愛おしい記憶の断片、あるいは家族の絆を証明する地図のように見えてくる。私たちは、何かを達成したり、名所を巡ったりするために旅をするのではない。ただ、一緒にいて、一緒に笑い、時には小さな喧嘩をして、それでも最後には同じ布団の中で丸くなって眠る。その当たり前で、けれど壊れやすい時間を、定山渓の深い雪が優しく守ってくれていた。
チェックアウトをして再び外の冷気に触れたとき、子供たちの頬は熟した林檎のように赤くなっていた。彼らの目は、来たときよりもずっとキラキラと輝いていて、世界に対する好奇心が、さらに一段階深まったように見える。敷島定山渓別邸を後にするとき、私たちは何かを得たというよりは、日常でまとっていた余計な鎧を脱ぎ捨てて、身軽になった感覚があった。家族というチームで、この冬の静寂を乗り越えたという、小さな、けれど確かな連帯感。それは、目に見えないけれど、心地よい重みを持って心に定着している。
雪の上に、小さな足跡が点々と続いている。
- 冬の定山渓を訪れるなら、子供と一緒に「雪の音」を聴き比べてみてください。場所によって音が違うことに気づくはずです。
- 敷島定山渓別邸のラウンジでは、あえて時計を見ない時間を。ただ、外の雪が積もる速度を眺める贅沢を味わってください。