← 戻る ホテルマウント富士

朝食の湯気の中で、誰かが笑った

朝食の湯気の中で、誰かが笑った

湯気と、小さな言い争いと、トリュフの香り

指先に触れる、冷たいガラスの感触。午前7時のホテルマウント富士のレストランは、外のしっとりとした青い空気とは対照的に、バターとコーヒーの濃い香りに包まれていた。大皿に盛られた料理の間を、子供たちが小さな体で縫うように歩く。上の子が「僕はこっちのパンがいい」と言い張り、下の子が忽然、お皿の上のフルーツを全部並べ始めた。大人のコーヒーは、一口飲むたびに胃のあたりがじんわりと温かくなる。そんな、少しだけ騒がしい朝の風景。でも、目の前には、霧に半分隠れた富士山のシルエットが静かに佇んでいた。

特に印象的だったのは、シェフが目の前で仕上げてくれたトリュフ入りのオムレツだ。フォークを入れた瞬間に溢れ出す黄金色のとろみと、鼻をくすぐる濃厚な香り。それを口にした瞬間、子供たちの言い争いがふっと止まった気がした。忍野の角屋豆腐店から届いたという豆腐の、潔いほどに真っ白な質感と、淡い甘み。温かい水に一粒の塩がゆっくりと溶けていくように、旅の始まりにあった「ちゃんと計画通りに動かなければ」という親としての緊張感が、この朝食の熱量に溶かされていく。完璧な調和なんてなくていい。ただ、美味しいものを食べて、隣で誰かが笑っている。それだけで、この旅はもう成功したのかもしれない、という気がする。


濡れたアスファルトと、コンビニの甘い誘惑

外に出ると、空気は重く、けれど心地よく冷たかった。6月の山梨は、世界が深い緑に塗り替えられる季節だ。紫陽花が雨を吸って、不自然なほど鮮やかな青や紫に光っている。私たちは、あえて目的地を決めずに歩いた。けれど、現実は残酷で、歩き始めて十分で、下の子が「もう歩けない」と道端に座り込んだ。上の子は、水たまりを見つけるたびに、わざと大きな音を立てて飛び込む。靴の中がじわじわと湿っていく感覚。予定していた観光スポットには辿り着けず、結局、近くの小さなお店で買った地元の菓子パンと、コンビニの冷たい飲み物で昼食を済ませることになった。

ベンチに座り、雨の匂いが混じった風に吹かれながら食べる、何の変哲もないパン。けれど、そのシンプルさが、不思議と贅沢に感じられた。子供たちが口の周りをクリームだらけにして、雨上がりの空を見上げている。彼らの瞳に映っているのは、ガイドブックにある絶景ではなく、ただの「大きな雲」や「変な形の葉っぱ」だった。大人が「効率」や「正解」を探している間に、子供たちは世界をそのままに受け入れている。そういう視点に触れるたびに、自分の凝り固まった思考が、雨に打たれた土のように柔らかくなっていく感覚がある。目的地に辿り着けなかったことは、失敗ではなく、ただの「寄り道」だったのだと気づかされる。そんな、少しだけ心に隙間ができる時間。


深夜の静寂と、シーツの冷たさ

夜、部屋に戻ると、1100mの高台にあるこの場所特有の、深い静寂が待っていた。29.8平米のツインルーム。子供たちをベッドに押し込み、ようやく訪れた大人の時間だ。部屋の隅に置かれた、地元で買った果物と、少しだけ贅沢な夜のおつまみをテーブルに広げる。子供たちが寝静まった後の部屋は、昼間の喧騒が嘘のように静かだ。時折、遠くで風が窓を叩く音が聞こえる。裸足で踏みしめたカーペットの、少しだけ厚みのある感触が、一日の疲れをゆっくりと吸収してくれる。

冷えた白ワインを一口飲み、窓の外を見る。そこには、闇に溶け込みそうな山中湖の湖面と、かすかに白く浮かび上がる富士山の稜線があった。昼間の混乱を思い返して、夫婦で小さく笑い合う。「あんなに泣くとは思わなかったね」「靴、全部びしょ濡れだったし」。そんな、なんてことのない会話。でも、そのとりとめない言葉たちが、心地よいリズムとなって部屋を満たしていく。もともと家族というものは、個別の周波数がバラバラに鳴っている集団のようなものだ。けれど、この静かな空間で、同じ方向を向いて夜を共有しているとき、その不協和音さえも、心地よい音楽のように聞こえてくる。シーツのひんやりとした感触に身を任せ、ゆっくりと意識が遠のいていく。明日もまた、きっと何か予想外のことが起きるだろう。でも、それでいい。むしろ、その方がいい。そんな心地よい諦めと、深い充足感に包まれていた。


雨上がりのテラスで、子供が指差した名もなき虫の動きをずっと見ていた。
  • 忍野村の豆腐を使った朝食ブッフェの、淡い甘みと温かさをぜひ体験してほしい
  • 富士山が見える露天風呂で、あえて何も考えず、お湯の温度だけを感じる時間を