← 戻る レフ熊本 by ベッセルホテルズ

指先が触れた、ぬるいお湯の温度

指先が触れた、ぬるいお湯の温度

琥珀色の出汁に溶け出す、目覚めの時間

チェックインの心地よい疲労感に身を任せ、深い眠りに落ちた翌朝。レフ熊本 by ベッセルホテルズの朝食会場で、私の感覚を静かに呼び覚ましたのは、地元の食材を贅沢に使ったお味噌汁の、ほんのりと甘い後味だった。立ち上る湯気が頬を柔らかく撫で、出汁の芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。火の国、水の国と称されるこの土地の、力強い土の匂いさえ感じさせる深い味わいだ。温かい液体が喉を通るたびに、冬の名残がある朝の冷え切った身体が、芯からゆっくりと解きほぐされていくのがわかる。塩味は淡く、それでいて底に潜む濃厚な旨味がじわりと広がるその感覚は、まるで冬の間、硬く閉じていた心の扉を、内側から静かに押し開けてくれる鍵のようだった。「美味しいね」と小さく呟いた私の隣で、まだ半分眠っているようなぼんやりとした横顔で頷くあなた。テーブルに落ちる柔らかな朝陽と、不規則にダンスを踊る湯気の向こう側に、私たちはこの旅で求めていた「ちょうどいい距離感」を見つけたのかもしれない。味覚という最も原始的な感覚が、この街とこの場所への信頼感を、静かに、けれど確実に作り上げていく。そんな予感に満ちた朝だった。

木の呼吸が塗り替える、都市の静寂

朝食を終え、部屋へと戻る廊下でふと足を止めた。そこには、深く濃い木の香りが満ちていた。それは単なる芳香剤のような作り物ではなく、森の記憶をそのまま閉じ込めたような、湿り気を帯びた本物の木の呼吸だった。熊本駅から歩いてわずか1分という、都市の喧騒のど真ん中にありながら、一歩足を踏み入れた瞬間に世界の音が書き換えられる。外を走る車の走行音や行き交う人々の話し声が、厚い木の壁に吸い込まれ、代わりに心地よい静寂が耳の奥に溜まっていく。私たちが滞在したモデレートルームの床に裸足で触れると、タイルのひんやりとした感触と、木の温もりが交互にやってきて、足裏から体温がゆっくりと書き換えられていく感覚があった。ふと立ち寄ったMANGA Libraryの静謐な空気感も相まって、ここは都市の中の聖域なのだと感じさせる。窓の外には3月の少し冷たい空気が漂っているが、室内には琥珀色の光が満ちていた。決して広くはない空間だけれど、二人で過ごすには、ちょうどいい密度の静けさがある。壁の色、照明の落ち方、そして時折遠くから聞こえる街のざわめき。それらすべてが心地よい低周波のように私たちの間に流れ込み、心地よい緊張感をほどいていった。

湯煙の向こう側で、ほどけていく心

その日の夜、私たちは大浴場へと向かった。木の香りがさらに濃くなる空間に身を置き、熱いお湯にゆっくりと体を沈める。それは、温かい水の中に一粒の塩が落ちて、ゆっくりと、けれど確実に溶けていくプロセスに似ていた。最初は、私とあなたという、別々の硬い結晶のままそこにいた。けれど、お湯の温度が肌に馴染むにつれて、自分と相手を隔てていた境界線がぼやけて、曖昧になっていく。もはやどこまでが自分の体温で、どこからがこのお湯の温度なのか、あるいはあなたの体温なのかさえ、わからなくなる。そんな心地よい喪失感。ふと、脱衣所でタオルを手に取ろうとして、手が滑りバサリと床に落としてしまった。「あ」という小さな声。あなたはそれを、少しだけ可笑しそうに笑いながら拾い上げてくれた。そのなんてことない、不器用な瞬間に、心の中に張り詰めていた何かがふっと緩んだ気がした。完璧な旅である必要なんてない。むしろ、こういう小さな綻びがあるからこそ、私たちはここにいていいのだと思える。お湯に溶け出した私たちは、もう元の硬い結晶に戻ることはないけれど、それでいい。ただ、このぬるい温度の中で、お互いの存在を、ただの現象として受け入れていたかった。私たちは言葉にする代わりに、ただ同じ温度の空気を深く吸い込んでいた。

指先に残った木の香りを、もう一度だけ深く吸い込んだ。

  • 朝食で提供される、地元の新鮮な野菜をふんだんに使った料理をゆっくりと味わってほしい
  • 熊本城まで歩いて10分という好立地を活かし、春の風を感じながら城下町を散策してほしい