← 戻る ひのき亭 牧水

子供たちの足音が消えた後の静けさ

06:47、廊下の足跡

足の裏が床に触れた瞬間、じんわりと温かみが伝わってきた。裸足で歩くと、ひのき亭 牧水の床板はまるで生きているみたいに温かい。老舗の旅館らしい檜の板目が、足の重みを優しく受け止める。

「ママ、ここって床が生きてるね」
老二が忽然そう言うと、老大は「温泉みたい」と首を傾げた。二人の声が廊下に小さく反響して、夜明け前の静けさに溶けていく。

まだ外は暗い。六時前の草津は、空気が冷え込んでいるはずなのに、この廊下だけは温かい。6畳の客室のドアをそっと開けると、庭の向こうにうっすらと明るみが見えてきた。


09:23、朝ごはんのテーブルで

食卓には小鉢の漬物と、湯気の立つご飯が並んでいる。ご飯は魚沼産で、炊き上がりが柔らかく、ほっとする甘みがあった。

「お米、甘いね」
老二がご飯を一口食べてそう言うと、老大は「お味噌汁も美味しい」と付け加えた。二人の声が重なると、なんだか温泉街の朝の光が一層明るく感じられた。

テーブルクロスの織り目に指先を這わせると、麻の質感が心地よかった。隣では、母親が「今日は何時に出発する?」と尋ねた。

「紅葉を見に行こう」
父親がそう言うと、老二は「紅葉って何色?」と真剣な顔で尋ねた。


14:17、庭で見つけた小さな奇跡

昼下がりの庭には、うっすらと紅葉が始まっていた。檜の木の間から差し込む陽光が、落ち葉の一枚一枚に金を塗っているように見えた。

老大が「これ、拾っていい?」と拾い上げたのは、5枚の落ち葉。色はまだ薄い黄色だったが、指先で触ると、紙のような薄さと、意外と硬い質感があった。

「ねえ、葉っぱってこういう風に触るの初めてかも」
老二がそう言うと、老大は「でも、この葉っぱ、なんか桜みたい」と笑った。

二人の手の中で、落ち葉はやがてカサカサと乾いていった。


20:45、本を読む時間

部屋に戻ると、床の間に置かれた一冊の本が目に留まった。表紙は渋い茶色で、見たことのないタイトルだった。

「これ、読んでみる?」
母親がそう言うと、老大は「読み聞かせして」とリクエストした。

読み始めると、檜の木の香りが本のページから立ち上ってくるようだった。老二は「この本、檜のにおいがする」と言った。

「檜の香りって、こういう風に本の中にも染み込んでるのかもね」
父親がそう言うと、老大は「時間って、においがするの?」と不思議そうな顔をした。


子供たちの寝息が聞こえる頃、私もふと目を覚ました。時計は22時47分を指していた。

窓の外では、草津の夜が静かに深まっていく。檜の木の枝が風に揺れる音だけが、この部屋に響いていた。

部屋の温度は、適度に暖かく、肌に触れる空気が心地よかった。

おやすみなさい、草津。

  • 草津温泉の朝市で地元の野菜を買って、ひのき亭 牧水で調理してもらう
  • 近くの図書館で10月の新刊を探して、夕食後に読み聞かせの時間を作る