← 戻る 山城山荘温泉旅館

「秘境」という言葉の正体は、心地よい迷路のこと

「ねえ、本当にここであってる? 秘境っていうか、ただの迷路なんだけど」
「黙ってついてきてよ。地図にはこう書いてあるし、この先の曲がり角を曲がれば、きっと運命的な出会いがあるはずだから!」
「運命っていうか、崖に落ちそうなんだけど。あ、見て、誰かサンダル片方忘れてない? あの草むらに転がってるやつ」
「あ、私の! まあいいや、片方あれば歩けるし。それより見てよ、この山の深い緑。9月なのに、もう秋の匂いが混じってる。湿った土の香りと、冷たい風が肌を撫でる感じ、最高じゃない?」
「気のせいじゃない? ただの寒気でしょ」
「ひどいな! でもまあ、この絶望的な道中のあとに最高のお湯があるなら、全部許してあげるよ」
私たちは互いの不器用さを笑い合いながら、深い緑の奥へと吸い込まれていった。

境界線が溶け出す、琥珀色の休息

苗栗 山城山莊溫泉旅館の部屋に足を踏み入れた瞬間、まず耳に飛び込んできたのは、静寂というよりは「音が吸い込まれていく感覚」だった。驚くほど広々とした空間に、使い込まれた木の香りが柔らかく漂い、裸足で踏み出したフローリングが歩くたびにわずかにしなり、心地よいリズムを刻む。最新のホテルにあるような無機質な完璧さはないが、むしろその歳月を重ねた不完全さが、旅の緊張で張り詰めていた肩の力をふっと抜いてくれる。

窓を開けると、冷やされたばかりの秋の空気が、肺の隅々までを白く塗りつぶしていく。外はもう、薄い氷のような冷たさが混じり始めているが、部屋の中には琥珀色の温もりが静かに居座っていた。そして、この宿の真骨頂である専用の湯船に身を委ねたとき、私は言葉を失った。蛇口をひねると轟音と共に溢れ出したお湯が、次第に部屋の中を白い霧で満たしていく。そのお湯に指先を浸した瞬間、肌にまとわりつく絹のような滑らかさに気づいた。重力から解放され、皮膚の境界線がどこまでで、どこからがお湯なのか分からなくなるような、心地よい喪失感。午後4時の光が斜めに差し込み、空気中の小さな埃が金色のダンスを踊っている。その光景を眺めているだけで、日常の瑣末な悩みなど、この深い山の中へ溶け出していく気がした。宿で提供された温かな夕食が胃袋を満たし、心までじんわりと解きほぐされていく。ここは、自分を取り戻すための聖域だった。

午前2時、静寂に溶かす本音

「ねえ、私たち、10年後もこんなふうに、誰のサンダルがなくなったかで揉めてるかな」
「無理でしょ。たぶん、みんな腰痛持ちになって、もっと豪華なホテルに泊まってるよ」
「あはは、確かに。でも、そういうのもいいよね。今のこの、ちょっと古くて、お湯がめちゃくちゃ気持ちいい場所を思い出して、笑い合えるなら」
「……まあ、いいんじゃない。正解がある旅なんて、つまんないし。迷子になったことも、サンダルを失くしたことも、全部この旅のセットメニューみたいなもんでしょ」
「そうかもね。……なんか、今のあなた、いい顔してる」
「うるさいな。お湯がぬるくなってきたから、もう一回足しちゃうね」
外では秋の虫たちが静かに合唱し、私たちは言葉の隙間に流れる穏やかな時間を、ただ大切に味わっていた。

湯上がりの肌に、9月の夜風が心地よく突き刺さる。

  • 街まで足を伸ばして「江技旧记」のワンタンを。スープの温度が、旅の記憶を鮮明にする。
  • 公館の紅棗(レッドデーツ)を買い込んで、ホテルのテラスで秋の風に吹かれながら食べるのが正解。