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小さな指先が、コートの裾をぎゅっと掴んだ

小さな指先が、コートの裾をぎゅっと掴んだ

ゴロゴロと、アスファルトを叩くスーツケースの車輪の音が、早春の湿った空気に溶けていく。JR清水駅の改札を出てからホテルマイステイズ清水まで歩くわずか3分という時間は、大人にとってはほんの一瞬の移動に過ぎない。けれど、5月の柔らかな日差しが降り注ぐ道中、子供たちにとってはそこは未知なる世界へと続く十分な冒険の時間になる。途中でふと足を止め、道端に咲く名もなき小さな花をじっと見つめる下の子。それを急かそうとして、結局は自分も一緒にしゃがみ込み、土の匂いと花の淡い色に心を奪われてしまう。もしかすると、旅の正体とは、目的地に辿り着くことではなく、こうした「予定外の停滞」をどれだけ許容し、慈しめるかということなのかもしれない。

なぜ、家族でこの街の静寂に身を置くのか?

ホテルのロビーに足を踏み入れた瞬間、外の喧騒がふっと遠のき、空気がしっとりと落ち着く。デザイナーズホテルらしい洗練された清潔感に包まれ、心地よい静寂が肌を撫でた。チェックインの手続きを待つ間、上の子が私の足元で小さく跳ねている。その不規則なリズムが、静かな空間に響く心地よいパーカッションのように聞こえた。家族での旅というのは、ある種の「チーム作戦」のようなものだ。誰かが機嫌を損ねれば、全体の調和が脆くも崩れる。けれど、ホテルマイステイズ清水の飾り気のない、けれど温もりのある空間に身を置いていると、無理に「完璧な家族」を演じなくていいという気がしてくる。

部屋に入り、冷たいドアノブの感触を指先に感じながら、私はふと思った。私たちはいつも、何かを「解決」しようとして旅に出る。子供を成長させたいとか、夫婦の絆を深めたいとか。でも、本当に必要なのは、解決ではなく、ただすべてを受け止めてくれる「器」なのだと思う。ただそこにいて、騒いでもいいし、疲れて泣いてもいい。そんな、緩やかな境界線を持った空間。ここにあるのは単なる宿泊設備ではなく、家族がそれぞれの温度で存在できる、静かな余白なのだ。私はガイド役を買って出たはずなのに、気づけば一番にベッドに倒れ込んでいた。まあ、荷物持ちとしての役目は十分に果たしたはずだ、と自分に言い聞かせながら。

子供の瞳には、どんな魔法が映っていたのか?

ツインルームのベッドに、家族三人で無理やり潜り込む。シーツのパリッとした冷たさと、洗いたてのリネンの清潔な香りが鼻をくすぐる。子供にとって、この広々としたベッドは単なる寝具ではなく、どこまでも続く巨大な白い島のようなものなのだろう。「ここは僕たちの秘密基地だね!」と上の子が囁いたとき、その声に含まれていた純粋な興奮が、私の胸の奥に小さく触れた。大人は「ビジネスホテルだから機能的だ」と定義するけれど、子供の目には、このシンプルさがかえって想像力を刺激する真っ白なキャンバスに見えているのかもしれない。

特に、独立したバスルームがあるという事実は、子供たちにとって大きな意味を持つ。扉を閉めて、自分たちだけの密室で、お湯の温度に一喜一憂しながら過ごす時間。タイルに裸足で触れたときの、ひんやりとした心地よい感触。シャワーから出る水しぶきが、鏡を白く曇らせていく様子を、彼らはまるで魔法の儀式のように眺めていた。もしかすると、大人が見過ごしてしまう「ただの設備」こそが、彼らにとっては旅のハイライトになる。

お風呂上がりに、パジャマ姿で廊下を走り回る足音。それを注意しようとして、ふと手が止まった。その騒がしさは、孤独とは対極にある、生命の脈動のようなものだ。誰かが笑い、誰かが不満を言い、それでも同じ空間で呼吸をしている。その不協和音こそが、今の私たちにとって一番心地よい周波数なのだという気がする。完璧に調律された音楽よりも、少し外れた音が混じる方が、ずっと人間らしい。そういうことに、旅先でだけは気づかせてもらえる。

旅路の果てに、心に澱のように残るものは何か?

最終日の朝、カーテンを開けると、5月の清水の街が淡い金色の光に包まれていた。窓の外に広がる穏やかな景色を眺めながら、昨夜食べた地元の甘いお菓子の味が、ゆっくりと思い出される。清水駅前銀座の商店街で、ふらりと立ち寄った店で見つけた、素朴で優しい味わいのもの。贅沢なフルコースよりも、あのような「偶然の味」の方が、記憶の定着率は高い。

チェックアウトを済ませ、再び駅へと向かう道すがら、下の子が私のコートの裾をぎゅっと掴んだ。その小さな手の圧力に、言葉にならない信頼のようなものが宿っている気がして、私はわざとゆっくりと歩いた。旅が終われば、また日常の喧騒に戻る。子供たちは学校に行き、私は仕事に戻り、また互いに「役割」を演じる日々が始まる。けれど、このホテルで過ごした、あの少しだけ乱雑で、けれど温かかった時間は、心の奥底に静かに沈殿し、いつかふとした瞬間に、心地よい泡となって浮かび上がってくるはずだ。

私たちは、何かを得るために旅をするのではない。ただ、自分が持っているものの輪郭を、違う角度から確認するために旅をする。不便さや、小さな喧嘩や、眠れない夜。それらすべてを包み込んでくれた空間があった。それだけで、この旅は十分に成功だったと言えるのかもしれない。

子供が深い眠りに落ち、小さく規則正しい寝息だけが、心地よいリズムとなって部屋を満たしていた。

  • 久能山東照宮へ向かうロープウェイの中で、山頂から見える駿河湾の深い青に、子供と一緒に言葉を失ってみるのがいい。
  • 清水駅前銀座の路地裏を、地図を持たずに歩いてみる。予定にない小さなお店で、子供が気に入る不思議な雑貨に出会えるかもしれない。