← 戻る シーサイドホテル美松大江亭

指先に残った湯気の温度

視線の交差、心の余白

障子を引くときの、あの乾いた音が耳に残っている。シーサイドホテル美松大江亭の海側和室に足を踏み入れた瞬間、肺の奥まで届いたのは、冬の陽光に温められた畳の、少し懐かしくて乾いた草の匂いだった。足裏に触れるい草の心地よい弾力と、微かに漂うお香の香りが、旅の緊張をゆっくりと解いていく。窓を開けると、別府湾の深い青が、重たいベルベットの布のように水平線まで広がっていた。その青は、吸い込まれそうなほど濃く、冬の澄んだ空気が頬を刺すたびに、世界が研ぎ澄まされていく感覚があった。私はその色の濃さに、しばらく言葉を失っていたと思う。静寂が心地よく耳を塞ぎ、時間が止まったかのような錯覚に陥っていた。ただ、かっこよく部屋に入ろうとして、畳の縁に中指の先が引っかかり、変な方向に体が傾いた。まるでネジが外れたロボットのような不格好な姿になった私を見て、君が小さく吹き出した。その笑い声が、張り詰めていた冬の冷たい空気をふっと緩めた気がする。それまでは、私たちが共有している沈黙が、冷たい霜のように心に降り積もっていたから。

隣で歩く君の、迷いがある足取りだけを追いかけていた。廊下を歩くときの、少しだけ不自然な歩幅。部屋に入ったとき、君はすぐに窓の外を見たけれど、私は君の横顔だけを見ていた。冬の鋭い光が、君のうなじにある細い後れ毛を白く照らし、その繊細な輪郭が私の視界に焼き付いた。畳の部屋は想像していたよりもずっと広く、外で鳴る冬の風の音さえも、この静寂を際立たせているように感じた。そこに漂う静けさが、私たちの間にある「まだ言葉にできない何か」を、残酷なほど鮮明に浮き彫りにしている。君がふとバランスを崩して、おかしな体勢になったとき、心の中で小さな鐘が鳴った。あ、この人も今、私と同じように緊張しているんだな、と。その瞬間、この部屋の広さは、孤独な空白ではなく、二人でゆっくりと埋めていくための心地よい余白に変わった気がした。君が笑ったとき、部屋の温度がほんの少しだけ上がった。それは暖房のせいではなく、君の呼吸が私に届いたからだと思う。

溶け合う境界線で

屋上露天風呂に浸かったとき、私たちは同時に、空と海の境界線が消えていることに気づいた。1月の別府湾は、すべてが淡いグレーの絵具で塗り潰されていた。顔に当たる空気は鋭い刃物のように冷たく、吸い込むたびに肺がキュッと縮こまる。けれど、源泉掛け流しの熱い湯は、皮膚がピリピリするほどに熱く、肩まで浸かると、強張っていた筋肉がゆっくりとほどけていった。その極端な温度の差が、今自分がここに生きているという感覚を、残酷なまでに鮮明にさせていた。ふと見上げると、硫黄の香りが混じった白い湯気の向こう側を、一羽の鳥がゆっくりと横切っていった。どちらからともなく、「あ、鳥がいる」と声を漏らした。その短い言葉が、完璧に同期して重なった。私たちは互いの視線を確認し合うことなく、ただ同じ方向に目を向け、同じ温度の湯気に包まれていた。もしかすると、私たちは答えを探していたのではなく、ただこうして同じ周波数で震えていることを確認したかっただけなのかもしれない。お湯の中で触れ合った指先の温度が、冷たい外気よりもずっと深く、記憶に刻まれた。

チェックアウトのあと、車窓から見えた梅の蕾が、冬の終わりを静かに予感させていた。

  • 湯けむり路地で、地獄蒸し料理の熱々のせいろを開けた瞬間の、真っ白な湯気に包まれる感覚を。
  • 朝の7時、まだ街が眠っている時間に、別府湾の波音だけを聞きながらゆっくりとコーヒーを飲む時間を。